映画「グリーン・ブック」をお勧めします
「芸術の中に神の姿を見いだす〜映画編」
今回は黒人差別を扱った映画「グリーン・ブック」を紹介したいと思います。
【ストーリー】(Amazonより、一部修正、加筆しました)
「時は1962年、ニューヨークの一流ナイトクラブ、コパカバーナで用心棒を務めるトニー・リップ(本名はトニー・ヴァレロンガ)は、ガサツで無学だが、腕っぷしとハッタリで家族や周囲に頼りにされていた。
ある日、トニーは、黒人ピアニストの運転手としてスカウトされる。
彼の名前はドクター・シャーリー(本名はドン・シャーリー)カーネギーホールを住処とし、ホワイトハウスでも演奏したほどの天才は、なぜか差別の色濃い南部での演奏ツアーを目論んでいた。
二人は、〈黒人用旅行ガイド=グリーンブック〉を頼りに、出発するのだが─。」
時代背景としては、1960年代のアメリカではまだまだ黒人差別が色濃く残っており、様々な法律、ルール、しきたり等々が黒人を差別していたようです。
ドクター・シャーリーは音楽家でありながらも、大学で心理学なども学んでおり、二つの名誉博士号を持っています。
音楽自体はクラシック音楽、ジャズピアニスト、作曲も行います。
黒人でありながらも、彼の奏でるピアノは大勢の人を魅了し、白人でさえもドクター・シャーリーの演奏を聴くことは教養を高める為に必要だと認識しています。
ドクター・シャーリーはもともと頭も良く、音楽の才能もあり、人一倍努力をして成功をおさめたのです。そこには当時の黒人差別に対して、黒人の社会的地位を上げようとして奮起した面もあったのではないかと推定されます。
そんな事情もあり、映画の中でのシャーリーは、すごく誇り高く描かれています。
そしてピアノの演奏会では白人もシャーリーを称賛するのですが…
自分としてびっくりしたのが、そのような状況でも、法律や制度、慣習、しきたりなどがシャーリーを差別するのです。
それに対して白人の態度と姿勢はというと、「素晴らしいピアニスト」と「差別心」を分けていて、「それはそれ」「これはこれ」で割り切っているのです。
映画の中では極端に描いていた可能性があるので、実際に当時のアメリカではどうだったかはわかりませんが、日本人なら違和感ありまくりだと思います。
ちなみに映画の題名である「グリーン・ブック」とは、アフリカ系アメリカ人であるヴィクター・グリーンが、クルマで旅行する黒人旅行者に「みすみす苦難と当惑に向かっていってしまうことを防ぎ、旅を快適なものとするための情報を与える」為に、黒人を差別しないサービスを提供する宿泊施設、ガソリンスタンド、自動車整備工場、給油施設を路傍に指し示すことで「黒人旅行のためのバイブル」という位置付けであったようです。(Wikipediaより、一部修正、加筆)
そのグリーンブック片手にトニーが運転手となり、ドクター・シャーリーと二人でクルマでのコンサートツアーに行くものの、あちこちの土地で有形無形の差別は受けてしまうのでした。
自分が1番心に残ったのが、ピアニストとして一流になり白人を運転手にするほどになっても、自分の演奏を聴いてくれる白人も心から差別心を捨てている訳ではない点であり、さらには同じ黒人からも「成り上がり」「お高くとまっている」的な目で見られてしまうことです。
彼はどれだけ孤独だったろうかと思う。それに対してガサツなトニーも、自身がイタリア系アメリカ人である為に、アメリカ国内ではやや蔑視の視線で見られることもある為に、シャーリーの孤独感を少し理解することができたのです。
とはいえ、トニーに最初から黒人に対して偏見がなかったわけではなく、映画の冒頭では当時の白人が持っていたであろう黒人に対して距離を取ろうとする態度が描かれています。
そんな中、黒人への差別が露骨に色濃く残っている南部の地域をあえて選びツアーを敢行するシャーリー。
様々な差別に対して毅然とした態度で一人立ち向かうシャーリーを見るにつけ、トニーの心にも変化が現れてくるのでした。
ちなみに60年代のアメリカはマーティン・ルーサー・キング牧師がまだ活動していた時代です。
シャーリーはキング牧師の2歳年上であり、同時代であることから、二人のアメリカでの活動は、黒人差別を無くす為の神の配剤であった可能性が高いような気がします。
経営学者のピーター・ドラッカーは、キング牧師を評して「キング牧師はその真摯さゆえに人々の心を動かした」と述べています。
そしてシャーリーは、その音楽性で人々の差別心を溶かす使命が与えられたような気がします。
映画の中で、シャーリーは2つの勇気を出します。
一つは、黒人への差別が残っている南部でのコンサートツアーを行ったこと。
もう一つはネタバレはしませんが、後半にもう一つシャーリーは別の勇気を奮い起こします。
その異なる二つの勇気によって、シャーリーは真に自由な人間になれたような気がしました。
そしてさらにもう一点、宗教的視点から付け加えたいと思います。
先程、シャーリーが黒人差別が残っている1960年代のアメリカに、音楽家として誕生したのは神の配剤であると述べました。
シャーリー自身はそのようなことに気づいていなかったと思われます。
ですので以下のシャーリーに関する考察は、あくまで自分が推測した霊的真相(ではないかと思われるもの)です。
人間が天国からこの地上に生まれてくる理由は、魂の進化向上の為であり、わかりやすく言えば、「長所をより伸ばし」「欠点を修正する」為です。そして「自らの個性を発揮して地上世界をユートピアにする」為です。
平均的な人は、自己確立にやや比重がかかるのですが、中には自分のことより、より他者への幸福の為に地上に生まれてくる人達がいるのです。
いわゆる天使(仏教的には菩薩)と呼ばれている人達です。
彼らは神の手足となっていて、より積極的に地上をユートピアにする為の活動を展開しています。(もちろん地上に生まれた時点で、天国での記憶もなくなるので、自分自身に天使としての自覚がある人はまれだと思います)
そしておそらくシャーリーやキング牧師は、アメリカでの人種差別を無くす為に、神より召命された天使達だと思うのです。
私がシャーリーが凄いなと思うのは、地上で黒人差別があるにも関わらず、あえて黒人として地上に生まれることを決意したその勇気にあります。
ちなみに、
地上世界と違い、天国では魂、霊だけになる為に、肌の色は意味をなしません。(各人の自己認識により姿が変わります)
もともと天使として、霊性(人間性)が高い人でもこの地上に一旦生まれてしまうと、物質世界に染まり堕落する人もたまにいるようなのです。
なので、平凡な人でも、そうでない立派な人も、この地上に生まれてくるのは、結構リスクが高いのです。
自分の両親や、生まれる国など、ある程度は自分で決められるらしいのですが、100%楽な環境は選ばせてはもらえないらしいのです。
そんな中、シャーリーはアメリカの黒人差別問題に一石を投じるべく、自ら地上に黒人として生まれてくる、その勇気に自分は心を打たれました。
シャーリーの勇気の根源には、神と地上の人々への愛があったと思います。
また、シャーリーにとって幸運だったのは、トニーがツアーでの運転手になってくれたことだったとも思います。
ガサツだが、裏表がなく、男気のあるトニーとの交流は、孤独なシャーリーの心を溶かしてくれたのかもしれません。
そういう意味でこの映画は、人種問題を解決するヒントのひとつになってくれる映画なのかもしれないとも思うのです
今回の記事はややスピリチュアルに傾きましたが、一応このシリーズは「芸術の中に神の姿を見いだす〜」なので…
映画自体は本当に面白いので、お勧めします。
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