崖っぷち日本のユートピア社会学by大山昇悟

崖っぷちに立っている日本をどうしたらユートピア(理想郷)にできるか日々考え答えを探していくブログです

読書人口倍増計画・お勧め本6「デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場」

今回お勧めしたい本は、数年前にネット上で話題になった登山家である栗城史多(くりき のぶかず)氏の半生を描いたノンフィクション「デス・ゾーン栗城史多のエベレスト劇場」である。

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筆者が初めて栗城史多氏を知ったのは、定期購読していたオピニオン雑誌でのインタビュー記事だ。当時は栗城氏にあまり関心がなかった為、それほど真剣に記事も読まなかった。

だが、2018年5月にエベレストで滑落事故で亡くなった後、ネット上では栗城氏の登山に対する取り組みなどに対する批判的な意見が多く見られたことで、俄然興味が湧いてきたのである。

栗城氏のインタビュー記事には関心を持てなかったが、筆者は山岳小説や登山家を描いたノンフィクションが結構好きだったので、栗城氏の事故原因だった「なぜ難易度が高いエベレストの南西壁のルートをあえて選んだのか?」の理由を知りたくなったからである。

そしてもう一つの理由が「なぜ栗城史多氏の評価は(マイナス評価がやや多いが)賛否が分かれるのか?」であった。

そういう意味では、普通の一流クライマーの登山成功物語を読むというような感じではなく、「栗城史多」という人間を深く理解したいというのがこの本を読み始めた動機である。

 

栗城史多氏の簡単なプロフィール

【1982年生まれ、北海道出身。

高校卒業後お笑いタレントを目指して、東京のよしもとNSCに入学するも中退し、札幌国際大学に入学。

在学中、好きだった女の子を見返す為、他校の山岳部に入る。登山歴2年でマッキンリー(6194m)に登頂。

2009年から2018年まで、計8回エベレストに「単独・無酸素」での登頂に挑む。

栗城氏の登山の特徴はカメラを持参し、インターネットで現地から生中継をし、視聴者との「夢の共有」を売りにしていた。】

栗城氏は自身を普通の青年と言っていて、身長も160センチ台と小柄な部類に入る為、筆者は栗城氏のことを「普通のどこにでもいる小柄な青年が、カメラ片手に単独、無酸素で果敢に8000メートル峰に挑む」というイメージで眺めていた。

ところが、この本を読んですぐにそんなイメージは崩れたのである。

栗城氏の高校時代の文化祭では、その風貌とは裏腹にお祭り男ぶりを遺憾なく発揮している。ユニークなのは3年を通して、劇の脚本、演出、主役を務め、実は一つひとつの劇が繋がっていて3年間で完結するという物語を仕込んでいたという部分。彼がその後カメラを持って、インターネットで中継し登山を共有するということに血道を上げていた点は、彼が高校生の時からその片鱗が伺えたのである。

高校卒業後一旦はお笑い芸人を目指して「よしもとNSC」に入る。この辺りの進路も普通のストイックな登山家というイメージからかけ離れている。世界で名高い登山家で、お笑い芸人になろうとチラッとでも考えた人がいるとは思えない。むしろ真逆な世界だろう。そこが栗城史多像の捉えづらい点である。

 

大学時代も実例を上げるのは控えるが、その風貌からは想像がつきずらいくらいのヤンチャな学生生活を送っている。

 

また肝心の登山家としての栗城史多氏の実力は果たしてどうだったか?

エベレストに登頂しようと言うからには、「体力、技術、精神力、判断力、経験」が備わっていないと難しい。本の中ではその点について何人かの証言があるが、エベレストに登頂できるだけのポテンシャルがあるかというと、やや心許ないレベルではあったようである。

詳しくは本を読んでほしいが、ある登山家によると「天気が良く、無風で、高度順応がスムーズにできて、運が良ければ…」みたいな条件付きなのだ。

このように客観的にはエベレスト登頂を果たすにはやや難しいレベルだったようだ。

しかしこういう客観的に難しい状況であったとしても本人に近い人達の証言では「本人は絶対に登れると信じていた」そうである。おそらく栗城史多氏に対して肯定的な捉え方をする人達は、彼の「限界を自分で決めない姿勢」「絶対に出来ると信じる強い信念」に惹きつけられたのではないだろうか。

他にも栗城氏の強みである「営業力、プレゼン力、憎めないキャラクター」などは評価されていたようだ。

だが否定派の見方は厳しい。曰く「パフォーマンスが過ぎる」「経験が足りないのにも関わらず、一足飛びに登ろうとしている」など、挙げればキリがない。

ある時などはエベレストの6400メートルと7000メートル地点でギネスブックに挑戦」と題して「カラ○○」と「流し○○○○」を行うという企画を立てた。なぜ世界最高峰の山を登る最中に、訳の分からないギネスブックに挑戦しなければならないのか?

さらには登頂アタックをするか否かを○○に決めさせる、などおふざけのオンパレードである。

一般的にもそう感じるのであれば、登山に必要なストイシズムを当然のように備えている登山関係者から、否定的な意見が多いのは当たり前である。

では全ての登山関係者が彼に対してネガティブな印象を持っているかというとそうではない。例えば登山のアカデミー賞にも例えられる、ピオレドール賞を受賞したH氏などは栗城氏を評価しているのだ。この辺が栗城史多という人物の評価が一方的にならずややこしくなるところである。

ともあれこの本が読者を惹きつけるのは、捉えづらい栗城史多像をパズルのピースを一つずつ埋めて行くようにして、その正体を明らかにしていくところにある。

それは著者自身が一時期、テレビ局のディレクターとして栗城氏に接していて、その捉えづらいキャラクターに困らされていた経験があり、栗城史多とは何者なのか?」を解き明かしたくて、この本を執筆した動機とも重なっていく。

もう一つの謎「栗城史多はなぜ難易度が高い南西壁を選んだのか」であるが、こちらの方は読み進めていく過程で薄らと理解出来たような気がする。もちろん全てが理解出来たとはいえないかもしれないが、「最後のエベレスト挑戦」「山を降りた後の第二の人生への迷い」「最高難度の南西壁」「栗城史多というキャラクター」を組み合わせて考えてみれば、おそらく関係のない第三者でも栗城氏の無謀な挑戦は類推が可能だと思う。

とはいえそれをもって栗城史多という人物像が分かったとは言えないかもしれない。なぜならこの本の著者は、取材の最中に栗城氏を詳しく知る複数の人物から取材拒否をされている。著者自身によると様々な理由があるようだがその点は惜しかったと言える。

そういう意味ではこのノンフィクションは80点で留まる。本の副題の「栗城史多のエベレスト劇場」というキャッチーな副題が100点を超えているだけに、充分な取材が出来なかったのは悔やまれる。

もしかしたら今後、栗城史多を詳しく知る人物達に完全な取材ができた上で書籍にする他の作家が現れるかもしれない。

もし現れなかったとしても、現時点で80%だけ埋まった、栗城史多像のパズルのピースを100%埋めて完成させてみたいという欲求はこの本を読んだ読者なら誰もが持つに違いない。

そういう意味で、栗城史多氏の「エベレスト・単独・無酸素・南西壁」という無謀なチャレンジは本人の意図した通りに彼の死後、多くの人を惹きつけているのではないだろうか。

栗城史多が企画し、脚本、監督、主演を演じた栗城史多のエベレスト劇場」は、いまだ上演中なのかもしれない。

 

 

 

 

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