崖っぷち日本のユートピア社会学by大山昇悟

崖っぷちに立っている日本をどうしたらユートピア(理想郷)にできるか日々考え答えを探していくブログです

読書人口倍増計画・お勧め本5「山怪」「遠野物語」

今回お勧めする本は「山怪」(田中康弘/山と渓谷社)と、民俗学者である柳田國男が書いた遠野物語」(Kindle)である。

まず「山怪」であるが、著者である田中康弘氏(フリーカメラマン)が全国各地の山にまつわる不思議な話しを集めて書籍にしたのが「山怪」であり、シリーズ化され現在4冊まで出版されている。

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一つひとつのエピソードは1〜4ページくらいと短いので肩肘張らずに読めるのがありがたい。

その中のいくつかを紹介する。

「山怪」のエピソードで目立つのは圧倒的に「神隠し」と「狐に化かされた」というものが多い。

例えば、ある中学生が冬場に、あまり通りたくない薄暗い辻を通ると、突然目の前に夜店がズラっと並んでいるのが見えた。その店は靴屋や玩具屋など5〜6件並んでいたのだが、突然停電が起きたように光が消えて、気がついたら雪景色が広がっていた…。

さらにこの中学生は、別の日に今度はトロッコを走らせる専用のレールの上を歩いている時に夜店を目撃する。その時は中学生と一緒に歩いていた祖母も目撃しているのだが、やはり唐突に夜店は消えてしまったようである。

また別のエピソード。

ある時、山を登った男性が開けた場所で一息ついている時のこと。向かいの山の山腹で知り合いの先輩が山を歩いているのが見えた。しかしずっとその先輩を見ていると同じ場所を4回、5回とグルグル回っている。「いったい何をやっているんだろうか?」と思った男性はその先輩にトランシーバーで連絡をすると…その先輩曰く「何って、俺は山を降りてるんだ」との返事であった。狐に化かされている(かもしれない)人を、離れた場所から客観的に眺めた例。

最後にもう一つ。雪の降る冬の日のこと。バスの運転手をしていた男性はお客さんが乗っていない空身のバスを運転していた。「これは終点までお客さんは乗らないかも」と思っていたところ…あるバス停で身体に小雪をつけた男性がバスに乗り込んで来た。

ところがこの男性、いつまで経ってもバスから降りない。運転手も怪訝に感じたが結局は終点まで行ってしまった。

そして運転手がたった一人のお客さんに声を掛けようとうしろを振り向いたが誰もいない。

驚いた運転手は座席の隙間を丁寧に一つひとつ探してみると…一匹の狐がいたそうである。

凄い雪のなか、狐も暖かいバスで移動したかったのだろうか、という話し。

「山怪」を初めて知った時、「これは現代の『遠野物語』に違いない」と感じた。そして「山怪」を読んだからには明治43年出版の遠野物語を読んでみないと、と思い急ぎ読み始めたのである。

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遠野物語」のエピソード自体はおそらく明治時代内のものだとは思うが、中には江戸時代のエピソードも混じっているかもしれない。

こちらは「山怪」よりさらにオカルトちっくである。なにしろ天狗、河童、座敷童のエピソードが多いからである。

とはいえエピソードの全てが作り話とも思えない。一応そのエピソードの元ネタは明治時代であり、体験者がまだ(明治42年時点で)存命していた時だからだ。

遠野物語」は昔のわかりずらい言葉で書かれている為、紹介などはしずらいが、例えば河童のエピソードでは、「母と娘が二代続いて河童の子を産ませられた」「手には水掻きがあり…身体は赤く口は大きく…まことにいやな子なり」。これが本当かどうかは証明のしようがないが、現代でも河童の目撃例は時々あるので、あり得ないこともないのでは、と思う。

また、人攫いの話しも多い。攫われる対象が大抵若い娘でありどこを探しても結局見つからなかった、というパターンだが、これをもって現代人は「誘拐犯」「町の女郎屋に売りつける」という発想に持っていく。もちろんそのパターンもあるとは思うが「遠野物語」ではそのありきたりの想像の斜め上を行く

ある時、若い娘が行方不明になった。ところが数年後、娘のおじさんが山の中で、渦中の娘とばったり会う。

おじさんが娘に事情を聞くと、「背が高く、凄い眼の色をした人に攫われて、子供を産ませられた。するとその人は、生まれた赤ん坊を食べたり、どこかに持って行ったりしている」とのこと。

これは「外国人」なのか「天狗」なのか?

筆者はこの人攫いの正体が大体想像がつくが、このブログでは書くのを控えようと思う。やはり不思議な話しは不思議なままである方が、心に残りやすいからである。

唯物論に染まった現代人には「山怪」と「遠野物語」で中和するのも時にはいいのではなかろうか。地球における科学万能信仰への楔としても、ちょうど良いかもしれない。

 

 

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