崖っぷち日本のユートピア社会学by大山昇悟

崖っぷちに立っている日本をどうしたらユートピア(理想郷)にできるか日々考え答えを探していくブログです

「掃除ができない💦」のには理由がある?

今回の記事は「なぜか掃除できない!」と感じている人に向けてのものです。

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自分個人としては、掃除自体は好きではありません。どちらかと言うとあまり掃除はしませんが、限界が来たら(生活するのに不便を感じたら)しぶしぶやるくらいです。

とはいえ掃除そのものに難しさを感じている訳ではなく、他にもやることが多い為に出来るだけ「マイナスを0に戻す」だけの掃除という行為を厭っているだけです。

今回の記事を書くにあたりAmazonで「掃除」で検索してみたらたくさんの本が表示されました。

・「やみつき掃除術」

・「お坊さんが教えるこころが整う掃除の本」

・「人生が変わる!片付け&掃除術 部屋は自分の心を映す鏡でした」

・「病気にならない掃除術」

・「『掃除が苦手』と思っていたけれど」

・「しない掃除」

・「世界一のお掃除術」

・「お掃除したら、いいことあった!」

・「捨てると人生が輝く!掃除と片付け」

・「掃除の解剖図鑑」

ザッと10冊ほど表示されましたが、世の中いかに掃除ができないorしない人が多いかわかると思います。

 

ちなみに自分は掃除の本に関しては近藤麻理恵(こんまり)さんの本を一冊読んだことがあるくらいで内容で覚えていることは「ときめくか、ときめかないか」くらいです。

今回の記事の元ネタとしては、掃除の本からではなく「掃除をしないある人を観察」してのものです。

ある人とは誰か?そこをツッコミたくなるとは思いますが、そこは秘密ということにして、「掃除ができない人の特徴」を列挙していきたいと思います。

①全ての物が均等に見えている。

例えば、「テレビ周り」「テーブル周り」「本棚」「散らかった紙類」「洋服」「ペットボトル」「掃除そのもの」など。

掃除を大きく分けると、「捨てる」「整理整頓」「掃除」の3種類の行為になりますが、掃除が出来ない人はまず部屋の中にある掃除をしなければならない対象を全て同じような大きさ(難易度)として見ているような気がします。

例えば「使用して片付けていない爪切り」と「回覧板で回ってきたいらない(かもしれない)プリント類」「本棚に入りきらず部屋の片隅に立てかけてある大判の書籍」の3つが、ほとんど同じ難易度で頭の中を占めてしまっています。

普通に考えれば片付けるのに一番難易度を感じるのは本棚に入り切らない「大判の書籍」ですが、掃除ができない人は「爪切り」も「プリント」も同じ難易度で頭のなかを占めてしまう為に、普通の人の3倍苦痛を感じてしまうようです。

この場合の片付けの優先順位は、「難易度が高いものから取り組む」か「片付けやすいものから取り組みか」しかありませんが、優先順位をつけること自体も頭の中で難易度が同じに感じてしまっている為に動けなくなってしまっているように思います。

それでもなんとか1.2.3.と優先順位をつけたとします。ここで掃除ができる人は、1を掃除してる最中、2以降は意識の脇に追いやりつつ保留状態になっていますが、できない人は1を取り組みつつも2と3が1と同等の存在感を占めていて心の重荷になっています。場合によっては1をしている最中2と3に手を出してしまい、1が中途半端に放置されて達成感が得られずさらに心が重くなっているように見受けられました。

 

掃除の定義を「綺麗にする事」にしている。

これは一見正解のように思えますが、これが「掃除ができない人にとっては」掃除における「罠」なのです。

なぜなら「綺麗にする事」を掃除の定義にすると全ての物を綺麗にしなければならない為に、その労力を想像するだけで掃除をしたくなくなります。結果、徹底的に掃除してクタクタになってしまい、次回以降やりたくなくなります。0か100かになるのです。(しかも大抵0です)

この場合は掃除の定義を「自分が最低限快適だと感じる状態に部屋を保つこと」にすれば良いのです。そうすれば「8割方片付ければ終了」ということにもできますし、「掃除機をかけたから今日は終了」でもいいわけです。

 

「捨てる」「整理整頓」「掃除」の順序が良くわかっていない。

先程の「爪切りと、プリントと、大判の書籍」の難易度が頭の中で同じ比重になってしまっていることと同じです。普通はまず「捨てる」ことが一番目に来ます。次の整理整頓と「掃除」は場合によっては掃除を先にして整理が後になることもありますが、そこは個別に臨機応変に対応します。それができないと優先順位をパズルのように複雑に組み立てようとして、結果的に何も出来なかったりします。

 

あと「捨てるかどうか迷う物」と「整理整頓したいが置く場所が決まらない」などの保留案件も掃除ができない人の頭を悩ますようです。自分ならそれらの物はとりあえず「保留場所」を作って置いておき、ある程度片付けたらゆっくり検討します。

 

掃除に伴う無数の判断をしなければいけないことに頭が沸騰している。

先程掃除には「捨てる」「整理整頓」「掃除」の3種類があると述べましたが、実際に掃除をするとなると、それらの一つひとつに沢山の判断をしなければなりません。

例えば「捨てる」だけでも「燃えるゴミ」「プラごみ」「プラスチックと金属類が混ざったような物」等、結構分別しなければなりません。それらの物を分別するには、市町村のホームページを見ないとわからない物もある為に、手間がかかります。

さらに実際の行為となると、「これは燃えるゴミ」「これはプラスチックゴミ」「これは…謎のゴミ?」など判断、判断の連続になります。散らかった部屋であれば人によっては、数百回以上判断をしなければならないでしょう。

掃除ができない人はこれを想像するだけでウンザリしてしまい、結果的に重い腰を上げたくなくなっているようです。

しかし考えてみてください。こんな判断なんて小学4年生の算数で100点取るより簡単ではないでしょうか。少数の割り算などよりはるかに簡単な「ゴミの分別」と「整理整頓」を数十回〜数百回行い、行動に転嫁するだけなので、ようは根気の問題だけなのです。

↓下の問題を解くより簡単でしょう

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平均的な人がしないような、掃除に対してのこだわりがある。

例えばプラスチックのゴミ箱の底(床に触れている面)をわざわざ雑巾で拭いたり、何十年も壁に設置してある箪笥をズラして掃除したり等、普通の人であればスルーしているような部分を「ここは何がなんでも綺麗にしなければいけない」と思い込んでしまっているパターンです。こういう場合は、「これぐらいでいいか」ぐらいの割り切りが大事です。ある意味会社の中を掃除するような感覚が大事です。会社の中をいくらピカピカにしても、大事なことは売れる商品を作ることであり、掃除はあくまで環境整備にすぎません。メインの業務に支障が出なければヨシとする感覚が大事です。 

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複数の部屋を数日にわたって大々的に掃除する場合の優先順位がわからない。

例えば「居間」「寝室」「キッチン」「トイレ」「お風呂」など複数の場所を掃除しなければならない場合、掃除ができない人は大抵一番長い時間過ごす居間を先に掃除してしまいます。これも間違った判断です。

正解は①「お風呂」②「寝室」の順序で、あとはランダムです。なぜお風呂が一番先に掃除をしなければならないかというと、掃除は割と体力を使うので、身体が汗や埃で汚れる作業です。先に居間を掃除してクタクタになってしまい、続きは明日やろうと思って「お風呂に入ってゆっくりしよう」としてもお風呂が汚かったら掃除で蓄積した疲れも取れません。同じような理由で寝室が汚かったらやはりゆっくり寝て疲れを取ることもできないでしょう。

そういう意味ではお風呂と寝室さえ先に綺麗にしてしまえば、あとは心おきなく掃除に専念できるというものです。

 

 

「掃除ができない人の特徴」をいくつか述べましたが、結論としては、

 

1.掃除とは究極的には「物の移動」で成立します。難しく考える必要はありません。

 

物を移動させれば掃除が成立するので、

阿蘇山の火口に物を捨てても、

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ゴジラに食べさせても、

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木星の衛星エウロパに捨てても、

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掃除は成立するのです❗️

 

2.掃除にルールなどない。1+1=2であることは宇宙の果てまで行っても変えてはならないルールだが、掃除のルールは「自分ルール」でオッケー!

 

3.掃除は目的ではなく手段

 

近藤麻理恵(こんまり)さんも自著の中で『あくまで掃除は、自分が最低限快適な生活を送る為の手段であるので、手段に労力も精神も多くを費やすのはもったいない。他に価値を生むことに人生の時間を費やすのが賢明』と述べていたと記憶しています。

 

この記事が「掃除ができない人」にとって、なんらかの参考になれば幸いです。

 

追記:掃除ができない人は、逆説的に言えば「掃除をしなくても問題がない人」なのかもしれません。なぜなら何年も掃除をしてない汚い部屋にいても、ハウスダストで喘息にならず、身体がダニに噛まれても痒みを感じてないからです(もしくは噛まれづらい)。ある意味「埃、ダニ、カビ、花粉」などに反応するアレルギー体質ではないのでしょう。

 

 

 

 

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