崖っぷち日本のユートピア社会学by大山昇悟

崖っぷちに立っている日本をどうしたらユートピア(理想郷)にできるか日々考え答えを探していくブログです

イートイン脱税をどう考えるべきか。

10月1日より、消費税が10%になりました。

それに伴い、酒類、外食を除く飲食物には軽減税率が適用されるので、今まで通り8%の消費税のままとなります。

 

そして、コンビニでのイートインでの飲食は外食扱いになり、10%の消費税となります。

 

ここで問題になるのが、コンビニで買う弁当やパン、カップラーメンなどを持ち帰れば8%の消費税となるのにも関わらず、イートインコーナーで食べると外食と見なされるため、10%の消費税となることです。

 

レジ前での、お客の事前申告を促している店が多いとは思いますが、案の定レジでの申告などせずに、8%で精算してそのままイートインコーナーで飲食する人があちこちで出ているそうです。

 

自分がこの記事を書こうと思い立ったきっかけは、俗に言う「イートイン脱税」をする人は出るだろうと予測はしていましたが、その割合はせいぜい2割くらいではないかと思っていたからです。

 

ところが、10月1日以降のネットニュースなどをチェックすると、コンビニでイートインコーナーを利用する人の8〜9割が、8%でレジ精算し、そのままイートインコーナーで飲食をしているらしいのです。

 

そこでどのような理由と背景により、8〜9割の人がイートイン脱税をしているのかを考えてみました。

 

ちなみに消費税を上げる前には、増税反対派の人たちは、約50%存在し、賛成派は約40%、残りの10%の人たちは態度を保留していました。

 

そういうデータを前提にした場合、増税反対派の人たち全員がイートイン脱税をしていたとしても(さすがにそこまではないとは思いますが)イートイン脱税8割には届かないと思います。

 

そこでどのような理由で脱税しているかを自分なりに推測してみました。

 

①レジでいちいち事前申告するのが面倒くさい

 

②消費増税賛成派で増税は仕方ないと思いつつ

    も、複雑な徴税システムにバカバカしさを感

    じての脱税

 

③プラス2%のお金がもったいないので脱税

 

④国が消費税を上げたことに対して憤ったあげ  

   くの腹いせの脱税

 

⑤「みんながやっているから」という理由で特

     に行為の価値判断をせずに追従しているフォ

     ロワータイプの脱税

 

だいたい以上のようなタイプに分類されるような気がします。(もっと色々あるかもしれませんが)

 

そしてこれも自分の個人的な推測ですが、今のところ脱税8〜9人のうち、増税に憤りを感じての脱税は1〜2人くらいしかいないのではないかと感じています。

 

そして4人くらいは、単に面倒くさいと感じての脱税であり、残りの3〜4人が単なるフォロワーなのではないかと思うのです。

 

ただ、今後消費税増税の影響がジワリと効いてきて、その結果景気が悪くなって収入が減ったり、また新しい新税が導入されれば、イートイン脱税の人数は変わらなくても、その動機は大きく変わる可能性はあると思われます。

 

つまり増税の影響が悪い方向に行くことによって「面倒くさいから脱税」の人が「ムカつくから法律を意図的に破ってやる」という感じに動機を変化させるかもしれないのです。

 

今のところ「面倒くさいから脱税派」がこの現象を引っ張っていると思われますがが、それでも日本の社会現象的にはいいことではないと思うのです。なぜならイートイン脱税をしている人たちの中には、「面倒くさいから」という理由さえもない「みんながやってるから」という追従派ともいうべき人たちが3〜4割はいると思うからです。

 

私見ではありますが、現在の日本における、大抵の正しさは「多数決」か、もしくは「相対的」なものの中にしか見出せてないようで、価値判断をする確固とした基準がないように思えるのです。

 

そうした日本の中では、軽い気持ちでの「面倒くさい」や「みんながやってるから」という理由による脱税であっても、それが多数派を形成してしまえば、「小さな脱税、みんなでやれば怖くない」ということが、普通の日常の風景として定着してしまうと思います。(すでに定着してるかもしれませんが)

 

そして、イートイン脱税の横行に関しては、政府も何かしら対策を考えてるかもしれませんが、「日常的な脱税風景」を生み出している原因の一端は政府にもあると自分は考えます。

 

その理由をパーキンソンの法則で有名な、C・N・パーキンソンの著書「かねは入っただけ出る」からいくつか引用してみたいと思います。

 

パーキンソンはこの本の中で課税の限界点国民所得20%とした上で以下のように述べています。

「(政府の)浪費の額の気の遠くなるような数字を考えて、憤慨した納税者は、税金を盗難のようなものだと考えはじめる。

彼が悪の道の誘惑にかられるのはこの時点である。

 

すなわち、かかる課税が文明に対して致命的なものとなる。政府の支出は、多くの必要かつ崇高な目的のためだと合理化されるが〜」

 

続いてパーキンソンは以下のようにも述べています。

「自分で遵法的だと考えている人びとが、(中略)もし安全だと思えば、簡単に税金の申告を偽るのである。

彼らは上手な脱税は課税対象となる所得を余分に稼ぐより得だということを知っているし、税金とは、自分ではたいして支払わない人間たちの議決によって、罰金としか考えられぬ高額に決められるものだと感じているのである。

 

そこで結論は、脱税は儲かるばかりでなく、正当でもあるということになる。彼らを遵法的な人びとから、反逆的な連中に変えるのは、まさしくこの確信である。

 

ひとたび脱税に慣れると(中略)人はいかなる法律にも敬意を払わなくなる」

 

ちなみに、自分の月給のうち、いくらくらいのパーセンテージで税金を払っているのかを細かく計算してみたところ、約19%が税金として支払われていました。(健康保険なども一種の税金だと捉えてますので、税金として扱いました。また、ボーナスは計算してないのでもう少しパーセンテージは下がるかもしれません)

 

そしてパーキンソンは、国民が高額な税金をかけられた場合に取る行動として、以下のように結論づけています。

「税金逃れの根本手段は、今日においても、いぜんとして、その国からの離脱だということである」

 

現在の日本においては、税金が高いからといって、気軽に海外に移住できる人は少数だと思います。

ですので、国外離脱できない日本人は、ささやかな抵抗として「法律や制度から離脱してやろう」ということだと思います。

 

とはいえ先程述べたように、そういう動機でイートイン脱税する人たちはまだ1〜2割程度だと思うのです。

次に4〜5割を形成しているであろう「事前申告が面倒くさい」人たちについて述べたいと思います。

 

「申告が面倒くさいので脱税」の人たちは、その手間のかかる「徴税方法」に対して政府の「国民の行動は細かくコントロールできる」という政府の思いあがりに反旗を翻しているのではないかと思うのです。つまり「こんな面倒くさいこと、いちいちやらせようとしやがって」ということです。

 

そして残りの4〜5割を形成する「追従派」については時代や地域に関わらず見られる傾向ですので敢えて分析はしませんが、以上のようなイートイン脱税をする人たちに対して、政府は「日本人のモラルが下がった」と思うかもしれません。

 

それに対して一言言わせてもらうならば、パーキンソンが述べていたように、かつてのイギリスにおいては、過度な累進課税を決めている人たちは、自分たちはそんなに税金を払わない人が議決していたとのことです。

 

そして時代は変わり、現代の日本では消費税に焦点が当たっていますが、消費税が導入された後でもそれに痛みを感じない収入と資産のある人が議決していると思うのです。

 

つまりふたつに共通しているのは税金に痛みを感じない人たちが税制を決めている、ということです。

 

自分としては、政治家が国民のモラル(道徳)の低下を問う前に、政治家としての道徳はどうなのかと問いたいと思います

 

なぜなら国民の増税による痛みが理解出来ないがゆえに、消費税をどんどん上げ、走行税やスマホ税などの新税を企画し、面倒な徴税方法を平気で押し付けて涼しい顔をしていると思えるからです。

 

アダムスミスの「道徳感情論」によると、自分の感情と他者の感情を、公平に観察してジャッジする「胸中の公平な観察者」が道徳的正しさを決めることになっています。

 

その胸中の公平な観察者を政治家は「正しい政治家像」を心に描いて、政策を決めているのかもしれませんが、消費税を上げながら、その対策として、景気対策と称して何兆円もつぎ込んでいる矛盾した状態を見ると、心ある国民からは、「財務官僚の言いなりになりつつ」「支持率を下げないように形だけフォローしておくか」みたいな欺瞞的な姿勢が透けて見えるのではないでしょうか。

 

そのような行為が果たして、「正しい政治家」としての正しいあり方なのかは大いに疑問であり、また「政治家としての道徳」もどこに存在しているのかを逆に問いたくなるのです。

 

そういう「政治家としてのモラル(道徳)の低さ」に対しても、国民はノーを突きつけているとも取れるのではないでしょうか。

 

要するに日常的にイートイン脱税が横行している風景は、国民のモラルの低下ばかりでなく、それを非難している政治家のモラルの低さが生み出しているとも言えると思います。

 

結論としては、世の中の仕組みを作る立場にある政治家が、国民の気持ちがわからなくて、日本が発展することはないと断言したいと思います。

 

最後に宗教的視点で一点述べておきます。イートインでの飲食による事前申告制度は確かに面倒であり、政治的な制度設計の失敗はあると思います。

 

ですが、だからと言って開き直って脱税した場合は、しっかりと死後あの世で善悪を問われることになります。

 

政治や社会環境が悪い場合であっても、それに対しての対応は、開き直って報復の悪を犯すことではなく、その手段・方法の妥当性も神の目で問われることになるのです。

 

政治家も国民も、各々の行動の責任は各人が個別に取らなければならないという法則は厳然としてあるということです。

 

長い文章になりましたが、ここまで読んでいただきありがとうございました。

 

 

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