崖っぷち日本のユートピア社会学by大山昇悟

崖っぷちに立っている日本をどうしたらユートピア(理想郷)にできるか日々考え答えを探していくブログです

漫画家残酷物語〜「100日後に打ち切られる漫画家」編

つい最近、「100日後に死ぬワニ」が話題になりました。あまり詳しい背景は知らないのですが、ステマだとか、最初から盛り上げる筋書きがあったとか、漫画の内容以上に色々言われてしまったようです。

 

今回の記事は、「100日後に死ぬワニ」の画期的なアイディアである「100日後に〜」のアイディアを拝借したと思われる、

「100日後に打ち切られる漫画家」を「漫画家残酷物語」として取り上げてみたいと思います。

 

*画像を使用するにあたり、浦田カズヒロ先生より、画像使用の許可を頂きました。浦田先生ありがとうございます。

 

この漫画の作者は浦田カズヒロさんで、やはり発表媒体はツイッターです。

 

漫画の主人公の名前は…どうも作中「センセイ」もしくは「先生」としか呼ばれていなかったような気がします。便宜上この記事では「センセイ」で統一したいと思います。

 

設定としては漫画家として週間連載を目指して、15年頑張ってきた(粘った?)センセイが、1日目に雑誌編集者から連載依頼の電話が来るところから始まります。

 

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初めての連載が決定し、小学生以来の夢が叶ったセンセイは、今まで苦労をかけてきた両親や、友人などに連絡するのですが、ワニ君と同じく100日後ルールが発動している為、100日後には打ち切られることがわかっている読者には、センセイの喜ぶ笑顔に切なさを感じてしまいます。

 

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その後、初めての連載に向けて、センセイは編集者と打ち合わせをしたり、新しく部屋を借りたり、アシスタントを何人か入れて漫画を描く量産体制を整えていきます。

 

その間、連載が決まってノリに乗ったセンセイのエピソードが散りばめられ(お金ネタ、若い女子アシスタントネタ)、100日後の打ち切りに向けて、大いに盛り上げていきます。

 

ですが、得意絶頂のときは長くは続かず、ジワリジワリと、嫌な雰囲気が漂ってきます。

 

なぜなら100日後に打ち切られる理由が、例えば印刷会社のストライキとか、紙の原料であるパルプが手に入らなくなったとか、非日常的な理由であれば、まだセンセイの打ち切りにはある意味、仕方ない面もあるのですが、この漫画では完全にオーソドックスな理由での打ち切りだからです。

 

ですので、100日後効果と、打ち切り理由の正当性により漫画全体にペーソスが漂いまくります。

 

あと、自分が好きな場面で、特にかなりリアリティがあると感じられるのが、実家のおばあちゃんの行動です。孫(センセイ)の為に、何冊も雑誌を購入し、アンケートをたくさん投稿する場面など、しかも母親ではなく祖母の行動というところが、作者の浦田カズヒロさんの実体験ではないかと思わせます。

 

また、デビュー時から二人三脚でやってきた、担当編集者の交代は、少年ジャンプで連載していたバクマンを彷彿とさせます。

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いかにも新人で元気だけが取り柄という感じの若手編集者です。こいつが結構曲者なのです。

 

うろ覚えですが、確か「バクマン」でも小太りの若手編集者に交代になったとたん、主人公二人と意見が合わなくなり、漫画自体もおかしくなっていったというエピソードがあったように記憶しています。

 

ですが、この「100日後に打ち切られる〜」で登場する小太り編集者はもっと嫌なタイプであり、現実にいそうなタイプです。

 

このあと、センセイの奮闘空しくとんとん拍子に?打ち切りへと向かいます。

 

ここで、漫画家もしくは漫画家を目指す人にとって何が残酷なのか述べてみたいと思います。

 

ひとつは、

努力で埋められない才能の差‼️

 

これ以外にももちろんありますが、ある意味ではこれに尽きると言ってもいいかもしれません。

 

作中、センセイが自分と同時期に始まった他の作家の連載漫画を読んで、その出来に打ちのめされる場面があります。

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大体、大ヒットしている漫画家の漫画はキャラクターがまるで本当に存在しているかのように動いているものです。

 

例えば、具体的な漫画名はわからないのですが、手塚治虫は漫画を描いていると「キャラクターが勝手に動いてしゃべる」ということを言っています。

 

また、梶原一騎が「あしたのジョー」の原作を書いていた時は、「ジョーが勝手に動いてくれるので、自分はそれを追っかけて(書いて)いるだけ」と述べています。

 

この二人の存在は漫画界では大物すぎますが、割と中堅どころの漫画家でもヒットしているマンガを連載している時には、キャラクターが勝手に動く現象があるようなのです。

 

例えば80年代に少年ジャンプで連載されていてアニメ化もされた新沢基栄氏の「ハイスクール奇面組でもそういう現象があったようなのです。

 

新沢基栄氏は、くだんの手塚治虫の「キャラクターが勝手に動く」について「多分大げさに言ってるんだろう」と思っていたようなのです。

 

ですが、「ハイスクール奇面組」連載時は、キャラクターが自分の意図しない動きをしたり、勝手にしゃべったりする現象がたくさん起きてしまった為、自己主張の強いキャラクターを一回主役にしないといけなかったと述べているのです。

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↑水色の髪の女の子がやたら喋って自己主張が強かったそうです。

 

要するにそのような神がかったように面白い漫画を描けるのは、才能の賜物であり、常人努力では埋められないということです。

そこが作家をして絶望せしめる要因であり、また残酷でもあるということです。

 

話しを「100日後に打ち切られた漫画家」に戻します。

とうとう連載は99日目になり、ラスト残り1日となります。ツイッター上では、大体3パターンくらいのラストが予想されていましたが、ある程度読み手の想定内だと思います。

 

ネタバレは避けますが、100日後に主人公のセンセイはある行動に出ます。その行動に対して「やりすぎ」であるとか「何もそこまでしなくても」と言う感想を持つ人もいるかと考えられますが、自分はそうは思いません。

 

なぜなら、センセイの連載が決まった時点で苦節15年と言うセリフがあるからです。

 

大卒で漫画家を目指し始めたと仮定して、15年間アシスタントや、様々なバイトなどしながら持ち込みや投稿をしていた場合、連載決定時は37歳くらいになっているはずです。

 

30代も後半に差し掛かって、もうやり直しが効かなくなる時点で、苦節15年で勝ち取った連載が僅か10週くらいで打ち切られたら、ヤケにもなるでしょう。

 

連載打ち切りという冷酷な現実は、15年分の張り詰めた精神の糸を断ち切るには充分だと思います。

 

とはいえ、この手のスペシャルな職業を目指す人としては、想定しておかないといけないリスクでもあるのかもしれません。

 

例えば、お笑い芸人を目指したり、人気バンドを目指したり、現代であればユーチューバーを目指したり…どれも成功すればリターンは大きいですが、失敗すればその後の人生はかなり苦労すると思います。

 

そういう意味で漫画家を目指すことはハイリスク・ハイリターンだと思います。

 

そして普通、一般的にはローリスク・そこそこのハイリターン」を目指して、「イージーモードの人生」を送るべく、高学歴、大企業or安定企業をみんなが目指すのだと思います。

 

ここで、「ゴーマニズム宣言」の著者である、漫画家の小林よしのり氏の「東大快進撃」のエピソードを紹介します。

 

「東大快進撃」はヤングジャンプに1980年代に連載されていました。

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主人公は東京大学を目指す東大通(とおる)です。勉強がひたすら好きで中学生の時から、ひたすら東京大学を目指して勉強していました。

(東京大学受験前のエピソードは、少年ジャンプで「東大一直線」という題名で連載されていました)

 

この東大とおる君の友人に、勉強が嫌いで本当は漫画家になりたいまんが君という登場人物が出てきます。

 

まんが君は、親に嫌いな勉強を強要されつつも、かつ漫画を隠れて描いたりして、70年代に連載されていた時は、過酷な受験競争の犠牲者のような役でした。(読んでいて辛くなるくらいです)

 

そのまんが君が、高校3年の終盤に受験勉強をキッパリ止めて、漫画家として生きていこうと決意します。

 

そして実力が認められて、長年の夢だった漫画家に高校生デビューします。

 

以下、うろ覚えですが、東大とおる君とまんが君と、もう一人の友人であるたわけ君の会話です。

【まんが君「俺、もう受験なんてやめたんだ。」「俺はついに漫画家として少年○○で、デビューしたんだ」

たわけ君「すごいね、まんが君」

主人公の東大とおる君は、この間沈黙します。

まんが君「こうしちゃいられない。早速つぎの週の原稿描かなきゃ」と言って締め切りに遅れないように原稿用紙に向かいます。

 

そこへ1本の電話が鳴り、まんが君が受話器を取ります。すると…

まんが君「えっ、連載打ち切り!?」

編集者「なにぶんねー、アンケートの結果が良くなくて…」

泣いて打ちひしがれるまんが君。

まんが君「あんまりだー、せっかく道が開けてきたと思ったのに〜…」

すると今まで沈黙を守っていた東大とおる君が不敵な笑いをうかべつつ

東大君「結局おまえなんか電話一本でクビを切られる身分じゃないか!」「こっちは東大に入って電話一本でクビを切る側に回ろうとしてんのよ!」】

 

大体こんな感じの内容だったと思います。

 

まあ…かように漫画家という職業は過酷というか、明日の保証のない不安定な職業というか、

簡単に目指してはいけないものなのかもしれません。

 

そして世間一般的には、高収入で安定していて、電話一本で漫画家のクビを切れる立場(大企業の社員)に立ちたいと思うのも無理もないことだと思います。

 

ただある意味で、ほんの少しだけ100日後に打ち切られた漫画家であるセンセイにも救いがないとはいえないと思うのです。

 

やはり人気漫画家にはなれなかったとはいえ、週刊漫画誌で一回でも連載を持てた人自体、世の中では稀有な存在だからです。

 

漫画家を目指す大部分の人は、そこまで行かずに、投稿の段階で終わっているか、アシスタントで終わるか、転職するかのパターンだと思われるからです。

 

そういう意味では、1回でも連載を持てたことは誇りに思っていいと思いますし、また、広い世の中ではその部分を大きく評価してくれる人も(期待はできないかもしれませんが)いるかもしれません。

 

ただ、漫画家になる夢が叶わなかったり、デビューしたものの、鳴かず飛ばずで転職せざるを得なくて、自分の人生を肯定できなくなってしまった人もいると思うので、そういう人には、ある経済学者の言葉を紹介したいと思います。

 

ノーベル経済学賞を受賞した、新自由主義者であるミルトン・フリードマンです。

フリードマンは、結果平等を否定し、自由な体制のもと、それぞれが結果責任を覚悟しつつ、様々にチャレンジして行くことが、フォードエジソンなど、大勢の偉人を生んだのだと言います。

 

フリードマン「もちろんこの発展の過程で、多くの敗退者たちも輩出した。実際のところ、勝利者たちよりも、より多くの敗退者たちを生み出してきた。それらの人の名前を、われわれは覚えてはいない。(中略)

 

こうして勝利を占めた人も、失敗した人も出てきたが、これらの人々が運にまかせる意欲を持っていたからこそ、社会は全体として大きな利益を得ることとなった。」

 

つまり、世の中を前進させたのは成功者だけではなく、失敗者も含めて、リスク覚悟でチャレンジしていった大勢の人びとが、世界を発展させてきたのだ、と言っているのだと思います。

 

と言いつつも、現在の日本では失敗した人には厳しいと思います(だからこそ残酷物語が成立するのですが)。とはいえ失敗者に厳しすぎると、リスクを背負いたいなどという人はいなくなります。

 

自分の考えとしては、世界を発展させユートピアにしていく為には、リスクを恐れずに、様々な分野でチャレンジしていく人びとが、たくさんいた方がいいと考えます。

 

なので、その為に必要な個々人の気構えと社会の雰囲気としては、チャレンジする人は結果責任のリスクを背負う姿勢も持っている必要があり、その結果失敗した場合は、周囲の人達の温かい眼差しもまた必要になるかと思います。

 

チャレンジする人を称え、何度でもやり直しがきく社会こそ、大勢の人々がさらなる高みに向かっていけるのではないでしょうか。

 

そういう雰囲気が社会にあってこそ、世の中が弱肉強食みたいにギスギスしすぎず、かつ調和をしながら健全に発展していくのではないかと思います。

 

長くなりましたが、浦田カズヒロ先生「100日後に打ち切られる漫画家」は面白く、また色々と考えさせられる作品です。

ぜひ一度読んでみてはいかがでしょうか?

 

❗️あのワニくんも後ずさりしたくなるような1日目はこちらから⬇️

 

 

 

 

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