崖っぷち日本のユートピア社会学by大山昇悟

崖っぷちに立っている日本をどうしたらユートピア(理想郷)にできるか日々考え答えを探していくブログです

涙なくしては語れない、アンネ・フランクの生涯〜繰り返される全体主義の行方②

今回のブログは、やや長文になりますが、ホロコースト(ユダヤ人殺戮)の概略とアンネ・フランクの生涯を書こうと思います。

 

以下、芝健介著「ホロコースト(中公新書)より要約。

 

ユダヤ人迫害の原因としては、ヨーロッパ社会が伝統的に抱えていたキリスト教の誕生に付随した反ユダヤ主義と、それに加えて第一次世界大戦の敗北をユダヤ人のサボタージュのせいにされたことが挙げられる。

1920年ヒトラーが加入したナチス党が誕生。

ヒトラーの「わが闘争」第11章「民族と人種」では、歴史は文化創造人種アーリア人(善)と文化破壊人種ユダヤ人(悪)との闘争と規定した。

ドイツにおいて優生学が人口問題と財政支出削減という二つの課題を同時に、かつ合理的に解決できる科学として広く受け入れられるようになる。

1933年全権委任法(授権法)可決

1935年ニュルンベルク人種法成立。これによりユダヤ人はドイツにおける公民資格を失う。ドイツ人とユダヤ人の婚姻の禁止。失業保険手当等、各種公的扶助からの締め出し。

1939年ナチスポーランド侵攻精神障害者身体障害者15000人が銃殺、ガス殺される。

1940年、ワルシャワに最初のゲットー(ユダヤ人強制居住区)が作られる。縦4キロ、横2.5キロの空間に45万人が詰め込まれた。

1942年ヴァンゼー会議によりユダヤ人の対応が決定される。「労働可能」ユダヤ人には奴隷的労働による過酷な搾取と「自然的減少」の運命を。「労働不能ユダヤ人にはガス殺

アウシュヴィッツ絶滅収容所ではドイツ人スタッフ30人が元刑事犯の囚人。司令官は殺人による前科があった。そのような凶悪な囚人達が監督者として配置されてもいた。

*筆者注:強制収容所と(ユダヤ人の虐殺を目的とした)絶滅収容所は厳密にはその種類は異なる。だが日本では混同されて捉えられているので、二つの収容所を分けずに「強制労働、拷問、虐殺」と言う意味を二つの収容所に持たせることとする。

 

亡くなったユダヤ人の大まかな内訳としては、武装親衛隊などの部隊による射殺→130万人。ガストラックによる殺害→70万人。ゲットーで飢餓、病による死者100万人。殺害のみを目的とした絶滅収容所においてのガス殺→300万人。強制収容所、戦争末期の「死の行進」を含めると総数600万人。

以上が当時のユダヤ人を取り巻く状況です。

 

○アンネの出生から隠れ家に入るまでの概略

ドイツのフランクフルトに生まれたが、ナチス党の政権掌握後、迫害から逃れるため、一家で故国ドイツを離れてオランダのアムステルダムへ亡命した。しかし第二次世界大戦中、オランダがドイツ軍に占領されると、オランダでもユダヤ人狩りが行われ、1942年7月6日に一家は、父オットー・フランクの職場があったアムステルダムのプリンセンフラハト通り263番地の隠れ家で潜行生活に入ることを余儀なくされた。(Wikipediaより)

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以降は、アンネの日記(完全版)」を部分的に抜粋しながら2年にわたる潜伏生活を追っていきたいと思います。(青字はアンネ)

1942年7月8日アンネの姉、マルゴーに呼び出し状が届く「マルゴーの言葉は、大きなショックでした。呼び出し状…それが何を意味するか、知らないものはありません。強制収容所とか、寂しい牢獄、そんな情景が次々に頭をかけめぐります」

 

この時点でアンネの父、オットーは娘達に隠れ家のことは伏せていたので、アンネは先の見えない不安にかられます。「身を隠す…でもどこに隠れるんでしょう?」

アンネ達一家は、目立つスーツケースが持てないため、たくさんの服を重ね着しオットーの会社の裏の家にたどり着く。「この家では、ほんとうにわが家に帰ったような気分になれることはないでしょうけど、かといって、ここが嫌いというのでもありません。(中略)この《隠れ家》は、身を隠すのには理想的なところです。」

この隠れ家にはアンネ一家の他に、2家族4人、合計8人が住むことになる。当初はアンネも隠れ家が気に入っていたようであり、退屈を紛らわす為にそれぞれに仕事を割り振ったり、読書、ゲームなどをして穏やかに過ごしていた。

 

だが、潜伏期間が2年の長期に渡るとユダヤ人が迫害されている外の様子に怯えたり、隠れ家の中でのストレスが溜まっていく。

「絶対に外に出られないってこと、これがどれだけ息苦しいものか、とても言葉には言い表せません。でも反面、見つかって銃殺されるというのも、やはりとても恐ろしい」

 

第二次世界大戦の当初、オランダは中立の立場を取っていた。だがドイツは言いがかりをつけ、オランダに侵攻する。

 

アンネ達一家を2年に渡り匿っていたのは、オットー・フランクの会社の従業員で当時30代のミープ・ヒースという女性だった。

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ミープの書いた「思い出のアンネ・フランクにはドイツがオランダに侵攻した当時のミープの心情が綴られている。

「わたしはおそろしい悔恨にさいなまれていた。正常なモラルの通用しないアドルフ・ヒトラーのような男に、わが国の中立を尊重してもらうことを期待していたとは、わたしたちもなんとお人好しだったのだろう」

 

隠れ家の中では、3家族8人が狭い中で過ごしていた為か、時間が経つにつれて摩擦も起きてくるようになる。

「家中が家鳴りするような、すごい喧嘩続きです。(中略)みんながみんな、(アンネ自身のことも含めて)ほかのだれかのことを怒っています。」

 

さらに数回に渡る深夜の泥棒騒ぎなど、極度に緊張する出来事もあった。

「11時15分をまわった頃、階下で人の気配と物音。(中略)家の中に足音がしています。…三階の部屋へ。みんな今では息を殺しています。八つの心臓が激しく高鳴ります。階段に足音が響いて、やがて回転本棚をがたがたさせる音。『もうおしまいだわ!』わたしは言いました。」

 

隠れ家の8人が気に病んだのは、泥棒達に隠れ家にいる自分達が出した物音を聞かれたのではないかということだった。

そして、当時はユダヤ人が隠れているのを当局に密告すれば懸賞金がもらえたのである。

 

そして、オランダ国内におけるユダヤ人に対する風当たりに変化が出始める。

「わたしたちユダヤ人に対する大多数の人々の態度が、ここへきて変わってきているというのです。(中略)反ユダヤ主義の波紋はいまや、かつてはそんなことを考えもしなかった人々のあいだにまで及んでいるとのこと。このニュースは(中略)深い、深い衝撃を与えました。」

ミープ・ヒースによると当時のオランダ人のユダヤ人に対する態度は良いものもあれば、悪いものもあったようである。

例えば、ユダヤ人であることが外見でもわかるように黄色いダビデの星を衣服の胸の部分に縫い付けることが強制されると、それに怒ったオランダ人のクリスチャン達が同じように黄色い星をつけるなどした。

または、オランダ国内の十のキリスト教会が手を結び、ユダヤ人迫害についての公開抗議書をドイツに送付した。

反面、黄色い星印のおかげで、オランダ人の子供達の心が悪宣伝に毒されてしまう面もあったようだ。

そして、ミープはこのように結論づけている。「わたしたちから見れば、ふたつの立場しかなかった。"正しい"人たち、どんなことがあってもナチに抵抗する忠実なオランダ人たちと、"誤った"人たち、ナチに協力するか同調する人たち、このふたつだ。中間は存在しない」

 

ドイツ人のみならず、オランダ人までユダヤ人に対しての感情が悪くなっていることを知りつつ、アンネは日記に心情を綴ります。

「いまはたった一つのことを望むしかありません。それは、このユダヤ人に対する憎しみが一過性のものであり、オランダ人がいつかは正気を取り戻して、二度と決して迷ったり、正義感を無くしたりはしないということです。」


「わたしはオランダという国を愛しています。(中略)いまもその気持ちに変わりはありません。」

…………………………

 

アンネの日記は10年くらい前に読んでいました。この書籍はアンネの日記そのもので構成されている為に、隠れ家における出来事がある意味淡々と描かれています。

語弊があるかもしれませんが、日記ゆえに特にドラマチックに展開するわけではありません。

しかし、「アンネの日記」の最大の衝撃は最後のページにあります。

1944年8月1日が最後の日付けとなっていますが、その日に書かれた最後の言葉はいつも通りの言葉で締め括られます。「…じゃあまた、アンネ・M・フランクより」です。

8月2日以降の日記はありません。

つまり、隠れ家での生活が突然終わったことを意味します。映画ではないのでクライマックスに至るような予兆も前兆もありません。

筆者にとっては「突然…ほんとうに突然終わってしまった!」ことが、これ以上ないほど当時のリアルな現実を突きつけられたと感じました。

ちなみに1959年に製作されたミリー・パーキンス主演の映画「アンネの日記」は20年くらい前に鑑賞しましたが、これも最後の日は突然訪れて、アンネ達がどのようにナチス親衛隊に連れ去られたかの描写はありませんでした。(と、記憶しています)

アンネ達一家の最後がどうなっていたのか知りたいと思いつつ時間が過ぎて行きましたが、ようやく今年に入りアンネ達一家を2年間匿い食糧などを運んでいたミープ・ヒースの自伝「思い出のアンネ・フランクを読んだのです。

本は一貫してミープの視点で描かれている為、まるで自分自身がアンネ一家を匿っているような気になりました。

そして、ミープの本にはアンネ達一家が連れ去られた日のことが克明に書かれています。

アンネの日記の最後の日付である8月1日から3日後の8月4日午前10時30分頃、突然ナチス親衛隊がオットーの会社に乗り込んできたのです。

 

以下太字部分は「思い出のアンネ・フランク」より抜粋

 

『ふと目を上げると、戸口に私服の男がひとり立っている。(中略)男は手にリボルバーを持っていて、わたしたちに狙いをつけながら入ってくるなり、「そこにいろ。動くな」と、オランダ語で言った。』

 

その後ミープはある男に見張られたまま、事務所の一室でじっとせざるを得ない状態になります。

その間、他のナチス親衛隊の連中は、アンネ達が隠れている部屋に乗り込んでいるらしいのですが、当然ミープには詳しい状況がわかるはずもありません。

その時、ふとミープは自分を見張っている男の話し方にピンと来て、男が自分と同郷のオーストリアのウィーン出身であることに気付きます。ミープがそのことを指摘すると、男は困惑しながらも同郷のよしみで、ミープを逮捕しないことにしたのです。(結果的にこれが、アンネの日記が後世に残るポイントになる)

 

そして…ナチス親衛隊が乗り込んでから数時間後、全てが終わり、男達も引き上げていきました。ミープは急いでアンネ達の隠れ家に行くと…隠れていた8人は当然誰一人いません。

 

『ドアを一歩入っただけで、室内がめちゃめちゃに荒らされているのがわかった。(中略)その凄まじい略奪の跡を、わたしの目はひとつずつ確かめていった。

乱雑に放り出された紙や書物の山のなかに、赤とオレンジの格子縞の、布表紙の日記帳が落ちているのが目にとまった。アンネが13歳の誕生日に父親からもらったものだ。

(中略)

アンネがこの日記帳をもらって、どんなに喜んでいたかが思い出された。胸のうちのひそかな思いを書き綴ったこの日記帳が、アンネにとってどれだけ大事なものだったかも知っていた。

(中略)

彼女が格子縞の日記帳を使い切ったあとで、エリー(会社の従業員)やわたしがあげた使い残しの帳簿のほか、たくさんの筆記用紙が見つかった。

(中略)

そこでわたしは彼女(エリー)に言った。

「手伝ってちょうだい。アンネの書いたものを集めるのよ」』

 

筆者は、ミープが2年間アンネ達一家を匿った末の結末が唐突に訪れ、誰もいない荒らされた隠れ家の中でアンネの日記を拾い集めている時のミープの気持ち、また隠れ家から連れ出された時のアンネの気持ちを思うと涙が流れて止まりませんでした…


そしてこのブログを書くために「思い出のアンネ・フランク」の最後の日を読み返す度に、涙ぐんでしまうのです。

 

アンネ達一家がその後どうなったのか。

それは2006年にDVD化され日本でも手にはいるABCテレビ製作のドラマ「アンネ・フランク」に詳しく描写されています。

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アンネが最後に収容されたベルゲン=ベルゼン収容所でアンネと知り合い、その後生き残った人たちからの証言をもとに構成されているので、かなり正確なアンネの様子が描かれています。ぜひ鑑賞していただきたいと思います。

 

話しをホロコースト全体に戻します。(以下は芝健介氏の「ホロコースト」より参照)

ナチスがヨーロッパ各地でユダヤ人を迫害していたことを当時のドイツ一般市民はどのように見ていたのでしょうか?

戦時中は絶滅収容所の存在を一般ドイツ人は知らなかったと思われていましたが、実は薄々気付いていたと現在では推測されています。

 

そこには、「知ろうとしない、知りたくない」という無関心と、ナチスユダヤ人政策に対する暗黙の合意があったと考えられます。

 

果たしてこの惨劇の責任は誰に帰結するのでしょうか。

かつてホロコーストは、ヒトラーをはじめ、ヒムラーゲッペルスアイヒマンなどナチ指導者の責任論で片づけられることが多かったのですが、現在では一般ドイツ人を含む広範囲の人間の社会的な問題と認識されつつあるようです…。

 

最後にアンネの日記から最も有名な言葉を紹介してこのブログを締めくくりたいと思います。

 

 

「自分でも不思議なのは、わたしがいまだに理想のすべてを捨て去ってはいないという事実です。(中略)にもかかわらず、わたしはそれを持ち続けています。なぜならいまでも信じているからです。たとえいやなことばかりでも、人間の本性はやっぱり善なのだということを」

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