崖っぷち日本のユートピア社会学by大山昇悟

崖っぷちに立っている日本をどうしたらユートピア(理想郷)にできるか日々考え答えを探していくブログです

ボランティア体験記〜少女のリハビリ編

今回の体験記は、「アルバイト」ではなく「ボランティア」です。

 

自分は20代の時にいったん勤めていた会社を辞めて、福祉の道に進む為に3年制の福祉専門学校に通っていたのです。

 

そして学校に入学したばかりの頃、先生から「将来、福祉施設に就職した時のことを考えて、今から何かしらボランティアをやっていた方がいい」と言われて、学校の掲示板に貼ってあった「ボランティア募集中」の案内を見に行ったのです。

 

当時は家から学校まで、電車を3つ乗り継いで片道1時間半かかっていたので、通学の負担にならず、学校帰りのついでに寄れるような場所にあるボランティアが希望でした。

 

そして見つけたのが、施設とかではなく個人宅で行っている女の子のリハビリ補助のボランティアでした。

 

そこは学校の近くの駅から1〜2駅くらいしか離れておらず、頻度も月1〜2回、1回1時間くらいということで無理なく出来そうでした。

 

ただしリハビリは、女の子の母親がメインに行い、その補助としてプラス2人が必要だとのことで、自分の他にもう一人必要でした。

 

なので、同じクラスでこのボランティアが出来そうなK君を誘いました。

 

そして自分とK君はボランティアを募集しているチラシの連絡先に電話して、東京の外れにある一軒家に向かったのでした。

 

こはちょっとした新興住宅地であり、ボランティア先の家も築浅の小綺麗な一軒家でした。

 

インターフォンを鳴らすと出てきたのは、30代くらいのほっそりした女性でその人が女の子の母親でした。そして彼女の案内で家に上がり2階の部屋に行くと、そこには8歳くらいの可愛らしい女の子がいたのです。

 

部屋は6畳くらいの広さであり、可愛い壁紙と部屋のあちこちにぬいぐるみがあり、女の子は部屋の絨毯の上にちょこんと座っていました。

 

母親の説明によると女の子(仮にA子ちゃんとします)の身体の状態は、生まれつき何かの障害があり、立って歩くことや、手先を思い通りに動かすことができず、また耳は聴こえても話すことが出来ません。(ただしぬいぐるみ等を掴むことは出来るようでした)

 

そこで当時最新のリハビリ方法を行い「立って歩く」「手を自由自在に動かす(文字を書けるようにする)」「言葉を話せるようにする」等をA子ちゃんが出来るようにすることがリハビリの目標でした。

 

当時のことはだいぶ昔のことなので、A子ちゃんの正式な障害名は覚えていません。(覚えていても特定されてしまうのでブログに書くのは控えますが)

 

リハビリ自体は1回約1時間を週5〜6回行っていたようです。リハビリにはその都度母親以外に2人必要なので自分の通っていた専門学校の生徒がかなりボランティアとして協力していたようです。

 

ともあれ自分とK君は、月1〜2回のペースでリハビリ補助のボランティアをやることになったのでした。

 

リハビリのメニューは、毎回母親が組み、A子ちゃんの身体を柔らかくする為のストレッチ体操や、壁ぎわにA子ちゃんを立たせて母親が身体を支えたり、紙に書かれたひらがなを指して発語させたりといった内容でした。

 

自分達は主にストレッチ体操でA子ちゃんの手足を掴んで動かすのがメインだったと思います。

 

3年間続けたこのA子ちゃんのリハビリ補助ボランティアで印象深いことがいくつかあります。

 

時々、客観的に見てもA子ちゃんには難しいのではないかと思われる内容のリハビリメニューを行うことがあり、そのメニューが上手くこなせずにA子ちゃんが声を上げて泣き出す時があったのです。

 

そんな時でも母親は内心では辛いと思うのですが、A子ちゃんに厳しく接していました。(自分とK君は成り行きを黙って見ているしかありません)

 

また、通い始めて1年半くらいした頃、A子ちゃんを立たせる為のメニューがなくなってしまったのです。

 

その理由を母親は語りませんでしたが、自分とK君は「多分リハビリの効果が少ないから立たせるのは諦めたんだよ…」と推測しましたが、なんとも言えない気持ちになりました。

 

ちなみに初めての自分のボランティアぶり?はどうだったかと言うと…

 

…1年くらい経った時のことです。

 

母親の方から自分とK君に対して「早くA子に慣れてくださいね」と言われたのです。

 

その時自分はギクリとし、「とうとう言われてしまったか!」と思ったのです。

 

実は自分は人前で感情を露わにすることが苦手なのでした。

 

おそらく母親としては自分とK君が、「A子ちゃん、今日も頑張ろうね〜」とか「A子ちゃん、よく出来たね、上手!上手!」などの声かけを期待していたと思うのです。

 

しかし自分は誰も見てない環境での1対1とかなら割と感情表出をしてしまうのですが、「複数人」や「それほど親しくない人」に対してだと人目が気になったりして、自分の感情をストレートに出すことが苦手なのです。

 

また、困ったことにK君も今風に言うと、いわゆる「陰キャ」であり、必然的にリハビリ中はひたすらシーンとした状態で黙々とリハビリだけが行われているようになっていたのです。

 

こんなタイプでよく自分は福祉の道に進もうと思ったものです。(T ^ T)

 

結局、母親からそれとなく指摘されたものの、自分とK君のキャラクターが変わることがなかった為、3年間シーンとした静かな部屋でリハビリは続けられたのでした。

 

A子ちゃんの母親は物凄く気詰まりだったかもしれません(3年間耐えて頂きありがとうございました😭)

 

ともあれ、なんとか3年間ボランティアを続けることが出来ました。

 

ここでアルバイトであれば、メリット、デメリットを書くところですが、ボランティアなのでそういう点ではなく大変な部分を上げたいと思います。

 

アルバイトであればお金が手に入るので、それが仕事を続けるモチベーションになるかと思います。

対してボランティアは無償なので、動機がしっかりしていないと時々「面倒くさい」という気持ちになるかもしれません。

 

なので、ボランティアを始める時は、動機の部分をしっかり自分の中に持っておくことが大事だと思います。

 

あと、やはり自分のように内省的で人前で自分の感情を出し辛い人は、福祉関係のボランティアはやめておいた方が賢明だと思います。無理してやってもキャラクターが変えられないで苦しくなるからです。

 

あと、黙々とA子ちゃんのリハビリをこなしていた自分が唯一良かったと思えたことがありました。

 

それは、3年間の間に何回かA子ちゃんの自宅に年賀状を出した時のことです。

 

ある年の瀬にふと、魔女の宅急便」のキキの絵を年賀状に色鉛筆で模写して出したことがあったのです。

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自分で言うのもなんですがかなり上手に描けていました。

 

するとしばらくして年賀状の返事がA子ちゃん宅から届いて、中身を読んでみると、

「大山さんから届いた魔女の宅急便の絵をA子が凄く喜んで半日離しませんでした。ありがとうございます」と書いてあったのです。

 

3年間のリハビリで自分はA子ちゃんの役に立てたのかは彼女が喋れないのでわかりませんが、魔女の宅急便の絵でA子ちゃんを喜ばせることができたことは、自分としては手答えがあり嬉しかったのでした。

 

あれからかなりの年数がたち、今現在A子ちゃんがどうしているかはわかりませんが、A子ちゃんが元気で過ごしていることを願うばかりです。

 

 

 

 

 

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