崖っぷち日本のユートピア社会学by大山昇悟

崖っぷちに立っている日本をどうしたらユートピア(理想郷)にできるか日々考え答えを探していくブログです

現在進行形のウイグル・ジェノサイド‼️〜世界を破滅させる中国の人権侵害②

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ついにその時がやってきました。

子供「お母さん!お母さん!」

「警官の車が来たよ」

「ドアを開けないで」

警察官「警察だ!開けなさい!」

子供たち「開けたら連れて行かれちゃう!お願いだから開けないで!」

「開けないで!」

母親「……………」

「ドアを開けないわけにはいかないのよ」

「ロックしたって、壊されて入ってきて連れていかれるんだよ」

どの家庭のドアもロックすることは禁止されていて、家には監視カメラが付けられていると彼女は言っていました。

 

グリバハル氏の証言による強制収容所で知り合った27歳ウイグル人女性の体験。(女性の現在の消息は不明)

清水ともみ著「命がけの証言」より抜粋

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筆者はもう10年以上中国によるチベットウイグルに関しての本を何冊も読んでいる。

今回ブログの記事にする為に改めて読み直しているが、中国による人権弾圧の酷さを知るにつけ、「人間はここまで残酷になれるものだろうか」と、暗澹たる気持ちになる。

特に拷問については40種類以上の拷問器具があるとされており、中国共産党は自らがマークし、拘束した人たちに残虐な行為を平気で行っているのだ。

例えば世界ウイグル会議議長のラビア・カーディルは、2000年に自身が監獄に入れられた時、有名人であるラビアを拷問することができない代わりに、別の人を拷問することにしてラビアを苦しめることにしたと公安から告げられる。

以下ラビアの証言

「まもなくして連れていかれた部屋の、壁を隔てた両方の隣室から男のうめき声が聞こえてくるのに気が付きました。

それは生まれて初めて聞く「音」で人間の声と言うより殺される直前の牛の叫び声、あるいは巨大な怪物が地底から発している叫びのようでした。

意識を失ったのか声が途絶え、また再び叫び声が戻ってくる。苦しそうな悲鳴に拷問の残酷さが想像されて全身が震え、血液が凍っていくのを感じました。

だいぶ経ってから1人のウイグル人青年が2人のウイグル人の公安に肩をつかまれ引きずられて瀕死の状態で私の目の前に連れてこられました。もう1人のウイグル人青年が同じように地面に投げ捨てられていました。彼ら2人は下半身ばかりが血だらけなのです。馬のしっぽの毛を陰茎に差し込む拷問があると聞いたことがありますが…何をされたのか分かりません。」

「中国を追われたウイグル人」(水谷尚子著)より抜粋

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またカザフ人で、現在はスウェーデンに亡命しているサイラグル・サウトバイ氏も収容所にいた時に拷問されている声を聞いている。

以下サイラグル氏の証言

「この(黒い)部屋で彼らは最も忌まわしい手段で人々を拷問していた。

収容所に入って2、3日した頃、私は初めて収容者が上げる悲鳴を聞いた。巨大な集会場全体に響き渡る悲鳴で、その声は私の全身の毛穴に染み込んでいった。

自分のそれまでの人生で聞いたこともないような叫び声だった。聞こえた瞬間、その人物がどのようにさいなまれているのかが目に浮かぶ悲鳴だった。死にゆく動物があげる生々しい鳴き声だった」

普通の人は拷問をしたこともなければ、されたこともない。またそのような場面を見ることもないだろう。

ところが中国は統治システムの中に拷問を組み込んでいるのである。そして筆者が恐ろしいのは、そんな中国が世界で大手を振って歩けていることにあるのだ。

中国共産党によるウイグル人への人権侵害の歴史をシンプルに書くとすれば、2016年に「陳全国」ウイグル自治区の書記に就任する以前と以後に分けられる。

2016年以前に起きた主要な事件としてはウイグルでの度重なる「核実験」「イリ事件」などが挙げられるが、今回は取り上げない。

ウイグルが現在のように大量の強制収容所を設立し、自治区内が徹底した監視社会になったのは陳全国が登場してからである。

2016年8月、陳全国はそれまでのチベット自治区での徹底した管理体制が評価され、新疆ウイグル自治区の書記に抜擢される。

彼がウイグル自治区で行った政策はチベット以上に苛烈を極めた。

 

陳全国はウイグル自治区を、水ももらさない体制にするべく、矢継ぎ早に手を打ったのである。例えば警察官を新たに3万人増やし、新疆全域に7300カ所の安全検査ステーションを設置。

また、県、市レベルの政府庁舎所在地に便民警務ステーション(交番)を設置。ウルムチ市だけで949ヶ所(2017年時点)

以降、町の様相は一変するのである。

ここで1999年にウイグル自治区を訪れたことのあるジャーナリストの福島香織氏が、20年ぶりにウイグルを再訪した時の氏の感想を紹介する。

以下はウイグル人に何が起きているのか」(福島香織著)より抜粋

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「約20年経って再び訪れたカシュガルは完全に中国の町になっていた。タクシー運転手にも中国語が普通に通じる。20年前は中国語が通じないことが当たり前だった」


「羊がすっかりいなくなっていた。代わりに警官がやたら増えていた。20年前は街中で警官の姿はそんなになかった。」

 

「ホテルに入るにはまず荷物と身体チェックが必要だった。空港にあるようなX線の透過装置と金属探知機のゲートがホテルの入り口にも設置され、出入りするたびに必ずチェックを受けなければならない」

 


「ホテルどころかスーパーも地下道も、ショッピングモールも、バザールも必ず出入口でX線による安全検査と金属探知ゲートによるチェックが求められた。その近くには防暴用の盾を持った警官が控えている」

 

「解放北路には大体100mごとに便民警務ステーションが立っている。そしてその便民警務ステーションの間には無数の監視カメラ。これも数10mに数個の割合で設置されていた」

 


「近くに設置してあるスピーカーから『社会秩序を乱す悪を徹底排除しよう』『黒があれば黒を一掃し、悪があれば悪を排除し、乱があれば乱を治めるのだ』といった警告が中国語とウイグル語で交互に大音量で流れ続けていた」

 

「タクシーの中には公安のマークのついた監視カメラがしっかりある。そのせいだろうか、こちらが話しかけても運転手はあまり答えない」

 


「刺すような日差しと涼しい木陰に彩られた日干しレンガでできた美しいウイグルの町は、外国人も漢族も自由に観光できるが、そこに住んでいるウイグル人にとっては巨大な監獄なのだ。外から来た旅行者には美しい治安の良い理想の観光都市に見える、21世紀で最も残酷な監獄社会

 

20年ぶりに訪れたウイグルが、監獄のように変わり果てたことに福島氏は慨嘆するのである。

 

さらに陳全国はウイグル自治区ディストピア化すべく、様々な制度を作っていくのだ。

 

2017年には「脱過激化条例」を施行する。

この条例は主にウイグル人が信仰しているイスラム教を狙い撃ちにしたものであり、「ベールを被る」「髭を蓄える」「豚肉を食べない」「大学でイスラム文化を研究」なども過激化の象徴として禁止事項に挙げられている。

さらに「○○を禁止する」などにとどまらずに、思想教育・心理的指導・行動の強制と技能研修を結合させることで再教育をより効果的にすべきだとしている。

そしてウイグル語の使用を禁止し中国語のみ使用させるという教育政策を実施。

さらにカメラによる監視にとどまらず、「5つのことを一緒にする」「双子の親戚」政策が実施される。

1ヶ月に1週間ウイグル人の住む家に漢民族が一緒に住み「一緒に暮らす・一緒に食事を作る・一緒に食事をする・一緒に勉強する・一緒に寝を行わねばならない。つまりデジタルで出来ない監視をアナログな方法で補完し、蟻一匹逃がさないような超監視体制を作り上げたのである。

 

これら数々の施策が効果があったのか、中国は2019年の「新疆の反テロ、過激化除去闘争と人権保障」という白書で「目下新疆では連続2年、暴力テロ事件は発生していない。過激浸透は効果的に抑制され、社会治安は明らかに好転した」とその成果を喧伝している。

 

だがこれに対して前出の福島香織氏は以下のように喝破する。「もし本当にこの2年間、新疆で暴力テロ事件が起きていないと言うならば、その理由は新疆全体が監獄だからだ。監獄の中で犯罪は起きない。この世で最も治安が良い世界は監視のいきとどいた監獄中である事は間違いない」

 

では、強制収容所の外でさえ事実上の監獄ならば、実際の強制収容所の中では何が行われているのだろうか。

 

以下、強制収容所に入り、そこから生還したウイグル人達の証言を紹介する。

グリバハル・ジェリロワ氏の体験「命がけの証言」(清水ともみ著)より抜粋し、要約

 

「私はセンケンという刑務所に送られました。牢屋の高さは6mくらいで、長さ7m、幅は3mくらい。そこに20〜30人、時には40人以上が押し込められていました。

 

同時に寝る場所はないので、小さい子を優先して2時間ずつ交代で寝ます。立っている人は喧嘩が起きないように監視役もします。部屋の上部にはテレビがあり、習主席の演説が流されていました。

 

支給されるのは囚人服一枚だけでした。

 

頭はシラミが湧いたので丸坊主にされ、全員が皮膚病になっていました。私たちは朝から15時間座りっぱなし(正座)の罰を受けます。時々、全裸でおかしな恰好をさせられ、屈辱的な検査を受けました。泣くと罰を受けます。

 


(外国の)取材の時はみんな歌や踊りを命令に従って一生懸命やりました。5つの中国語の決まった曲を覚えて取材カメラに披露しました。

 

私たちは毎日、自分の罪を告白し反省文を書けと紙とペンを渡されました。そこには、『私の思想はきれいになりました。私は思想を改善しました。共産党は良い党。出所した後は党の人間となり、共産党のために働きます』と書いていました。

 

ウメル・べカリ氏の体験

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ウイグル・ジェノサイド」(ムカイダイス著)より抜粋し要約

「ウメル氏はその後再教育施設に移され、朝から晩まで「共産党が一番、共産党がなければ新中国もない」「社会主義は良い」との歌やスローガンを中国語で暗唱し、毎回の食事の前に、習近平への感謝の言葉「習主席に感謝し、国に感謝し、習主席の健康と長寿のために祈る」と唱えさえられた。

 

毎日行われた洗脳教育に対するテストが必ずあり、不合格の人は食事を与えられず、夜眠る時、手足が縛られた状態でヘッドホンより大音量の音楽を流され、眠ることが許されないなどの罰が与えられた

 

ミリグリ・トゥルソン氏の体験ウイグル・ジェノサイド」より抜粋し要約

電気椅子に座らせられ、頭にヘルメットをかぶせられ、手と足を固定され2回ほど感電させられる拷問を受け失神したことなどを明かし、感電させられるたびに全身に耐え難い激しい痛みが走り、震え、口から白い泡が出たとアメリカ議会で証言している」

 

ウイグル人に対しての人権弾圧をドイツのナチスと比較してみると、その違いは「洗脳」「拷問」である。

もしかしたらナチスも拷問くらいはあったかもしれないが、中国の場合は「何十種類もの拷問器具と、専用の拷問部屋」があることである。また共産党を繰り返し礼賛させれば「洗脳」が出来ると信じているところに中国共産党の本質が垣間見えるのである。

また、必ずしも「共産党員」の「漢民族」のみが収容所の看守をしているのではなく、同じ民族同士で反目させる為にウイグル人を看守にしているパターンもあるようだ。

次回のブログで紹介するサイラグル氏は、カザフ人であり「共産党員」であるものの自身はイスラム教を信じている女性である。ウイグル人でない為に収容所での扱いは、ややマシなものの彼女はいつ自分もウイグル人たちがいる劣悪な監獄に入れられるか、怯えながら収容所で教師をさせられていた。

そして恐怖心を押し殺しながら、いつの日か子供たちがいるカザフスタンに亡命し、世界に向かって中国共産党ウイグル自治区東トルキスタンの人達に対して行っている弾圧を、糾弾することを願い続けていたのである。

 

 

 

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