崖っぷち日本のユートピア社会学by大山昇悟

崖っぷちに立っている日本をどうしたらユートピア(理想郷)にできるか日々考え答えを探していくブログです

大島隆氏の「芝園団地に住んでいます」を素直に評価できない理由(中編)

今回のブログは前編からの続きです。

 

芝園団地に住んでいます」を読んでいて気になったのは、著者である大島氏は、ほぼ無批判に「多文化共生社会」は良いものだとしている点だ。

 

大島氏は「多文化共生社会」を実地に移す際のポイント等を、その方面に詳しい二人の外国人の学者にアドバイスを求めてもいる。(この二人の学者も多文化共生社会を無批判に肯定しているように筆者には思えた)

 

ちなみに2019年6月に立憲民主党が「多文化共生社会基本法案」を衆議院に提出した。しかしこの法案は、その後審議されていないのでこのまま廃案になりそうだ。

 

ここで、多くの移民を受け入れ、多文化共生社会を推し進めて行った国が、その後どうなったのかを紹介したい。

 

まずは多様性を重んじるカナダの場合。

2019年時点でカナダにおける中国人住民の人口は190万人を超えた。20世紀までは、台湾、香港からの移民が多かったが、21世紀に入る頃から、中国大陸からの移民が増えてきた。彼らの中には中国における共産党体制に肯定的な考えを持つ人も多くいるようだ。

 

また、中国人住民の人口が増えれば、当然政治にも影響を与えるようになる。カナダでは近年になり、各都市、各州、連邦議会において、華人の議員が増加しているのである。彼らの所属政党は意外にもバラバラであり、少ない議席を中国人同士で争うこともあるようである。だが華人議員の中には、「南京大虐殺」や「従軍慰安婦」の問題を持ち出し、中国人のナショナリズムを煽るような輩もいるようだ。(当然カナダ人社会の中で、日本に対しての印象は悪くなるだろう)

 

さらにはカナダ国内における中国人スパイの問題である。カナダの諜報機関によると、中国は「留学生や学者、ビジネスマンや移民たちを情報提供者(スパイ)としてリクルートしている」とのことである。(ちなみに日本にはスパイを防止する法律はない)

 

次にオーストラリアの場合。

オーストラリアにおける中国共産党の浸透ぶりは、クライブ・ハミルトンの著書「目に見えぬ侵略」に詳しい。

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オーストラリアの全人口2500万人のうち、華人系の人口は120万人に達している。

そして、ある意味では日本よりも中国共産党の工作が成功しているのがオーストラリアなのである。

 

例えば、

①2015年、ダーウィン港の99年間の租借権が、中国共産党と密接な関係のある中国企業に売却。

 

②2017年のニューサウスウェールズ州の地方選挙で当選した6人の中国系オーストラリア人は、中央統線部系の組織と繋がっている。

 

③中国国営企業国家電網公司は、ビクトリア州の五つの電力供給会社と、南オーストラリア州唯一の送電会社の一部の所有権を有している。

オーストラリア西部州の三大電力販売会社の一つであるエナジーオーストラリアは、北京と関係の深い中電集団によって保有されている。アリエンタ・エナジーはオーストラリア最大級のエネルギーインフラ企業だったが香港の宝石商に、40億ドルで売却されている。

問題はこうした企業の大半に、中国共産党の党員が幹部として入り込んでおり、その企業を統制することが可能なことである。

さらに現在の電力分配は電信サービスと融合しているため、これを所有すれば、オーストラリアのインターネットと電話のメッセージ機能にすべてアクセスすることができる。

 

④オーストラリアに亡命した陳用林によると「1000人以上の中国人秘密工作員と情報提供者のネットワーク」が、オーストラリア国内で活動していると主張。

 

⑤中国人留学生を受け入れているオーストラリアのいくつかの大学は、学費という収入を減らしたくない為に、「学問の自由」さえ売り渡しはじめている。

 

⑥大学のキャンパス内にある薬局に、法輪功が発行する「大紀元」紙があるのを中国人学生が見つけて激怒し、店に不買運動をすると恫喝等。

 

これらの事例の数々は、オーストラリアに亡命した元中国領事館の陳用林氏によると、オーストラリアの解放性、比較的少ない人口、大規模な中国系移民、多文化主義への取り組みが行き過ぎた結果だとしている。

 

だが国が滅びる時というのは、必ずしも侵略国のみが原因を一方的に作っているとは言えない。やはり攻め込まれる国の内部が腐っているものなのである。

 

例えば、オーストラリア国立大学教授 元オーストラリア首相上級補佐官のヒュー・ホワイト氏や、オーストラリア最大級の民間テレビネットワーク「チャンネル7」のオーナー、ケリー・ストークス氏らは、「倫理」や「道徳」などはあくまで相対的なものであるとして、信教の自由、言論の自由法治主義、民主制度などをないがしろにする中国に対しても、中国独自の文化として許容しているのだ。

 

著者のクライブ・ハミルトン氏によると「1980年代からわれわれは経済を最優先事項にしてしまい、経済に全ての犠牲を捧げなければならないと言う者に力を持たせてしまったのだ。この犠牲の中には、自由な国としての国家の主権も含まれている」と自国の状況を分析している。

 

そしてこのようなオーストラリアの国民性を利用して、中国共産党が狙っていることは「米豪同盟を壊し、オーストラリアを属国にすること」にあるという。

 

その際使用する「武器」が、中国人観光客や、中国人留学生、中国人ビジネスマンなのだ。彼らは1989年の天安門事件以降、愛国教育を受けており、70、80%は中国共産党に対して否定的な感情は持っていない。そして党員の監視を受けつつ、また相互に監視をしつつ、オーストラリア国内において中共の謀略を着々と進めているのである。

 

移民と多文化政策を推し進めた結果、オーストラリアの中国化が進んだが、中国の学者が「我々はオーストラリアにさらに200万人の移民を送り込むこともできますよ」とこともなげに述べたりもしている。

 

なお、現在の中国共産党は、ウイグル人に対して「再教育」と称して様々な「同化政策」を推し進めている。ウイグル人の文化を尊重しようとしない中国人」が日本に来たら、日本人は諸手をあげてそのような中国人の文化を尊重しないといけないのだろうか。あまりにお人好し過ぎないだろうか?

 

世界は中国人を中心に回っている訳ではない。

 

結局のところ、多文化共生社会とは多数派が占める文化が幅を利かす社会ではないのか?であるならば多文化共生社会と言いながら、中国文化をごり押しされる社会になるのではないだろうか?

産経新聞の佐々木類氏も著書「日本が消される日」の中で述べているように「他文化を強制されてしまう社会」になるのではないだろうか。

 

要するに「各国人それぞれが身につけているであろう文化に対して、何の価値判断もせずに無条件に尊重して受け入れましょう」などということを推し進めていけば、自ずとその国が長い年月をかけて作ってきた社会は簡単に壊れていくだろう。

 

「多文化共生社会」という絵に描いた餅のような美辞麗句のもと、いたずらに移民予備軍のような外国人を日本に無制限に受け入れるのは踏み止まった方が懸命だと思われるのだ。

 

そして、ここまではおそらく世間の保守系の言論人が常識的に考える見解だと思う。

 

ただ当ブログは「どうしたら日本、及び世界にユートピア社会が創れるのか」をテーマにしている。(今回の記事の狙いからはやや外れるかもしれないが)ユートピア創造の観点からもう一段思考を進めてみたい。  

 

前回のブログで文化の定義を『宗教・哲学・芸術・科学などの精神的活動、及びその所産としての人間の生活様式の全体』と述べた。

 

ということは、もし日本の文化を高めたいのであれば、人間の精神的活動を高めつつ、同時に世界をリードできる宗教、哲学、芸術等を日本から輩出できれば、世界に誇れるような高い文化も作り出せると思うのである。

 

そしてそのような日本の高い文化を世界各国の人が日本に来て学びたいという姿勢を持っているのならば、外国人が少しずつ日本に入国してくるのはアリかもしれないと考えるのである。(もちろん入国する人数に制限はかけるが)

 

そして彼らが日本で学んだ優れた文化を自国に持ち帰って、自国の社会の発展の為に日本の文化を応用してくれればとも思う。

 

つまり、様々な国から多様な文化を背景にして外国人が日本に来て、全ての文化に対してそれぞれ尊重しましょうというのではなく、圧倒的な高みのある文化を日本が創りあげ、それを学ぶ為に外国から労働者や、留学生が来るのであれば、移民という形をある程度とってもいいのではないかと考えるのである。

 

*もちろん上記以外にも、「日本語能力」「職業」「技能実習生」「道徳・倫理観」「国防」「帰化制度の基準」等も議論の対象にしなければならないことは当然である。

 

この筆者の見解は、あくまで日本の近未来、またはあるべき姿を想定してのものである。

とはいえ現時点での日本はあらゆる分野で崖っぷちにいると思うので、まずは崖から落ちないこと、つまり国家ビジョンもなしに移民を増やさないように気をつけるべきだと思う。

 

後編に続く

 

 

 

 

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