崖っぷち日本のユートピア社会学by大山昇悟

崖っぷちに立っている日本をどうしたらユートピア(理想郷)にできるか日々考え答えを探していくブログです

イジメっ子達の罪はいつ消える?「サンジャポ」メンバーの発言について

少し古い話題だが3月7日に放送された『サンデー・ジャポン』(TBS系)での、番組メンバーの発言がネット上で批判を呼んだ。

 

自分は番組自体は観ていなかったが、「まいじつニュースサイト」で経緯を読んでみて、番組内メンバーの発言に対して思うところがあったので、考察してみたい。

 

問題の番組の内容を「まいじつニュースサイト」より一部抜粋して紹介すると…番組では韓国で社会問題化するいじめ告発運動「暴too」を紹介。

 

「暴too」とは、セクハラ告発運動「Me too」と「暴力」をかけ合わせた、著名人が学生時代に行なったいじめ行為を告発する運動。現在、韓国では大きな騒動になっているそうで、告発されたK-POPアイドルがCM降板、バレーボール選手にいたっては、中学時代のいじめが原因で代表権を剥奪されたという。

 

しかし、こうした制裁には「やりすぎではないか」との同情の声も出ているとのこと。

 

これらの韓国での状況を紹介した上で、サンジャポメンバーがそれぞれコメントを述べた。

 

鈴木紗理奈「いじめの苦しみ、大人になっても忘れられないって人がいるのも分かるけど、それを『見返すため頑張ろう』って自分に向けるんじゃなくて、『お前あの時~』って相手に矛先を向けると、(憎しみが)終わらない」

 

テリー伊藤「いじめをした芸能人は、当然、当時のことは覚えてるわけですよ。そういう自分が嫌だから、芸能界に来たんじゃないですか?」「荒んだ自分が嫌だから芸能界へ来て、そこでもう一度頑張ろうと。過去を捨てて。それで必死になってやってるのに、過去を引っ張り出すようなのは、僕はルール違反だと思いますね」と、いじめっ子にも、悪かった自分を変えたい意図があるのだとコメント。

 

学生時代に〝陰キャ〟だったことで知られる『爆笑問題太田光「(報復という)それ自体がいじめになるから、あんま意味がない」と、憎しみの連鎖になるだけだと指摘した。

 

*上記はいずれも「まいじつニュースサイト」より抜粋

 

私もネットでの評判と同様に、これらの発言に違和感を感じる。

 

なぜなら3人の発言には「イジメた側を擁護しているように聞こえる」「昔イジメたことがあるけどそれについてはすでに反省し、今は新たな道を歩んでいるので今更昔の話しを持ち出すのはルール違反」という自分に都合の良いルールを作っているように聞こえるからだ。

 

そこには、

「イジメられた側の気持ちにまるで寄り添ってない」「イジメられた側が当時どういう気持ちで、またその後人生にどう影響していったか」などの視点がないからである。

 

↓キャンディをいじめた悪名高いイライザ

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↓観ていて「テレビをぶっ壊そう」と思うほどムカついた、セーラをいじめたラビニア

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イジメられたひとが、やり返すという気持ちに至った過程をスルーして、むしろ「イジメられたらやり返す人は悪い人」という位置付けをしているように思う。

 

この論理を突き詰めていくと、学生時代も社会人時代も強者はやりたい放題でその後は無反省でオッケー。「昔はヤンチャしていた」と形だけ反省したフリをすればよいということにならないだろうか。

 

結果、「イジメられた側がやり返すのは報復が報復を生むので泣き寝入りをすべき」という社会が出来てしまう。

 

おそらくイジメをするような強者は、現代の社会では「パワハラ防止法」(2020年6月施行)があり、暴力に至るようなものに対しては、刑法がある。それらの法律で対応すればよいというスタンスなのかもしれない。

 

百歩譲って社会人としてならそれらで対応するのが筋かもしれないが、学生時代ではまったく不完全である。

 

大学はイジメに対してどう対応しているのかはわからないが、少なくとも小中学くらいでは、「イジメをした生徒は登校禁止にする」というルールを作っている学校は(自分の知っている限りでは)ないような気がする。

 

その証拠にいまだにイジメられた子が自殺をする事件が時々あるからだ。

 

サンジャポメンバーの発言は、いじめた側が過去のことで批判されない為の自己正当化であり、自己保存にしかすぎない。またこのようなことを平気でテレビで発言したこと自体、いじめられた側の気持ちがわかっていない証拠。つまり過去のことを本当の意味で反省できてはいないということであり、「語るに落ちた」ということだろう。

 

そもそもイジメた側は、昔自分がしたことをあまり覚えていない。それに比べてイジメられた側は鮮明に覚えている。

 

数年前に確か中国で50代か60代の男性が、同窓会で子供の頃自分をイジメた男性を殺害した事件があった。

そのとき、自分をイジメた男性に昔のことを尋ねてみると「フッ、そんな昔のことは覚えてないな」とのたまった。で、結果的に報復され殺されてしまう。殺人を肯定する訳ではない。つまり自分がしたイジメは記憶に残りずらく忘れやすいのだ。

 

報復した男性に関しての評価は後述するが、こういう事件が起きた場合、かつてイジメっ子だった人間が考えるべきことは「イジメられた人間というのは、相手を殺したいほど恨んでいるのだ。では自分はイジメをしたことがなかっただろうか?もししたことがあるなら反省して、なおかつ本人に直接謝罪ができる状況なら謝罪をしよう」と考えるのが真っ当な人間の取るべき態度である。

 

それをテリー伊藤のように自分ルールを勝手に作り、イジメた側を擁護しすぎるのは単純におかしい。それだとイジメた側は左団扇で悠々と暮らせてしまう。

 

今回のブログではもう少し宗教的視点で「いじめた側」の罪と罰を述べてみたい。いじめられた側にもある種の課題や問題もないことはないが、後述する。

 

イジメが発生する原因はいくつかあるが、弱肉強食の論理は間違いなくある。子供の頃であれば、「喧嘩が強い」「頭が良い」子供が悪い心を持っている場合。

 

喧嘩が強い奴は、弱そうな子を暴力で支配し、殴ったり、使い走りにしたり、お金を巻き上げたりイジメて喜ぶ。イジメを娯楽のひとつにまでする。

 

頭の良い奴は、頭の悪い子をみんなの前でバカにして楽しむ。

 

いずれも強い者は、弱い者をいたぶっても構わないという世間の風潮そのままに行動している。

 

会社でなどでも同じことが言える。仕事が出来さえすれば出来ない奴を人前で馬鹿にしてもいいと思っている。

 

そこには人間の持つ支配欲が介在しており、それを正当化する現代社会の弱肉強食を肯定する風潮が背景にはある。

 

では、いじめた側はどのような反省をすべきなのか?今回はこれに関してあまり深く掘り下げない。あえてひとつ言うとすれば、仏教の八正道をお勧めしたい。

 

八正道とは…

・正見→正しく見る

・正思→正しく思う

・正語→正しく語る

・正業→正しい行いをする

・正命→正しい生活をする

正精進→正しい努力をする

・正念→正しく念じる

・正定→正しく定にはいる

 

これら8つの項目について、それぞれ反省すれば心はだいぶ浄化される。

 

今回は、過度なイジメをした人間が死後どうなるかを述べようと思う。

 

人間は死後、霊体が肉体を抜け出し、縦・横・高さで構成される3次元世界である地上を去り、4次元以降のいわゆるあの世に行くことになる。

 

そしてまずは天国でも、地獄でもない幽界というところに行き、生前の生き方を振り返らされる。

 

80年くらいの人生でプラス点とマイナス点を比較し、プラス点が多ければ天国。マイナス点が多ければ地獄行き。

 

地獄行きの人は、長い人生を通して反省すべき点が多かったということ。

 

生前あまりに過度なイジメをした人は地獄に行くことになる。その人が地獄から天国に上がる為には生前行ったイジメをひとつひとつ思い出して反省しなければならない。

 

そして数年後、全ての反省が終わり魂が浄化されてようやく天国に上がれる。

 

そしてまた、300年くらいしたら、地上に生まれ変われる。

 

イジメをした→結果、死後に地獄に落ちる→地獄で反省する→天国に上がれた。

ここまで来れば本人は「禊は済んだ」と思うのが普通である。

 

たしかに軽い罪であればこの時点でリセットされるが、あまりに本人の罪が深い場合は、これだけでは済まないことがある。

 

なぜなら、本人は反省したから昔のイジメの件は全て済んだと思っているが、これはあくまでいじめた側がスッキリしているだけであり、「実際にいじめられた人の気持ちが実感として理解できたのか」という点は定かではない。

 

いじめられた側は、それがきっかけでPTSDになったり、不登校になったりして、その後の人生が酷いものになったりしてることもあり、いじめた側がそのような気持ちを実感として持つのは客観的に考えても難しいだろう。

 

そこであの世で一通りの反省が済んだイジメっ子は、次に地上に生まれ変わった際にもう一度、禊をすることになる。

 

具体的にはこの世でイジメられる側を体験させられる、つまり反対の立場に立たせられるのである。

 

心の中で反省するだけではわからない点を補完する為に、「実際にいじめられるとどういう気持ちになるか」を実地で体験させらるのである。

 

例えば、「女の子が好きな男の子の前で、クラスの女子の性悪リーダータイプから、鈍臭い所を指摘されて笑い物にされて悔しい思いをしたり」「男の子が女子の前で、殴られたり蹴らたり、ズボンを脱がされたりなどして屈辱的な思いをしたり」これらのいじめられる側の感情は逆の立場に立たないと、なかなか実感できないだろう。

 

いじめられて初めて「いじめられると、こんなにも悔しくて惨めな気持ちになるのか」と実感するのである。

 

これがいわゆる宗教的には「カルマの刈り取り」と呼ばれるものだ。

 

これを体験してようやくイジメっ子の禊が完了する。

 

もちろん軽くふざけたようなイジメくらいならしたことがある人は、少なくないと思うが、全員が前述のように地獄に堕ちたり、地上でカルマを刈り取らされるようなことはないと思う。

 

あくまで過度なイジメ、残酷なイジメをして相手の人生に悪い影響を与えてしまい、本人の個人的な反省だけでは魂の真なる浄化が難しいケースに限るが。

 

ちなみにあるデータによると、子供の頃イジメをしたことのある人は、そうでない人よりも大人になってから犯罪を犯す確率が4割ほど高いそうである。

 

最後にイジメられた側について。

 

「人を呪わば穴2つ」「恨み心で恨みは解けない」は、辛いことだが宗教的には真理である。

 

なぜならイジメられた側には、「報復を行うことの正当性がある」と思っているが、その恨み心を突き詰めると「人を不幸にしたい」という思いがあるからだ。

 

なので「人を不幸にしたい」という思いが神の御心に叶うはずもなく、イジメっ子を落とす穴を掘っていたら、同時に自分をも落とすことになる穴を掘っていたということになってしまう。

 

そういう意味では、イジメられっ子の側は「イジメっ子を裁くのは神であり、イジメられっ子は自分の課題や問題に取り組みつつ、新たな道を歩むしかない」のかもしれない。

 

ボクシングのWBC元フライ級の世界チャンピオンになった内藤大介氏のようにイジメをきっかけに喧嘩に強くなりたくてボクシングを始めて、結果的にチャンピオンになることもある。そしてそこまで成功すれば、昔自分をいじめていた相手に対して許すことができるようになるかもしれない。(余談だが喧嘩に強くなりたいのなら、大道塾修斗をおすすめする)

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*画像はWikipediaより

 

結論的に言うと、イジメられっ子の報復について、イジメた側が無反省な生き方を正当化するかのように「報復は報復を生む」等と言う資格は一ミリもない。むしろ自己反省の材料にしなければならない。

 

同時にイジメは犯罪だと認定し、イジメっ子は全ての学校で登校禁止にする制度を作り、小中学でも留年させるべきだと考える。

 

そしてイジメを止めない限り学校に登校できなければ、結果的に「中卒」「小卒」もしくは「幼稚園卒」「保育園卒」という学歴になるので自ずと自分の行為を改めるようになると思うのである。

 

ここまで読んだ読者の皆さんは、大山さんはどうなんだ?と思ったと推察するが、自分は「反省をしなければならないと同時に、恨まないようにしないといけない」と思う今日この頃である。

 

 

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