崖っぷち日本のユートピア社会学by大山昇悟

崖っぷちに立っている日本をどうしたらユートピア(理想郷)にできるか日々考え答えを探していくブログです

映画「バジュランギおじさんと、小さな迷子」をお勧めします

「芸術の中に神の姿を見いだす〜映画編」

 

今回はインド映画「バジュランギおじさんと、小さな迷子」を紹介します。

f:id:AitoSatori:20200428165929j:image

 

以下、あらすじです。(一部Wikipediaから引用しました)

パキスタンのスルターンプリ村に住む少女シャヒーダーは生まれつき言葉を発することができず、村の長老の勧めでインド・デリーのニザームッディーン廟に参拝することになった。母がシャヒーダーと共にデリーに向かい、娘が言葉を話せるように祈願する。その帰路、印パ国境検問所ワーガ付近で列車が停車中にシャヒーダーが列車を降りてしまい、動き出した列車に置き去りにされてしまう。シャヒーダーがいないことに気付いた母は娘を探そうとするが、列車はすでに国境を越えていたため探しに向かうことができなかった。

 

母親とはぐれてしまったシャヒーダーは、言葉も話せずお金もない為に、たまたま食事をしていたインド人の男性バジュランギを見かけて、ご馳走してもらう。

 

バジュランギは、女の子が置かれた状況を察して、警察に行くが荒くれ者ばかり扱っている警察では、子供の面倒が見れないと断られてしまう。

 

仕方なく、幾日か女の子と過ごすうちに、その子がパキスタン出身であることを知り、大使館経由でなんとかしてもらおうと掛け合うが、そこでも断られてしまう。

 

バジュランギは仕方なく、直接インドとパキスタンの国境を超えて、女の子を親元に届けようと決意する】

 

あらすじはこんなところですが、そもそも迷子の女の子一人を適切な法律、制度に則りパキスタンに送ることもできないのだろうかと疑問が湧きますが…

 

ここでインドとパキスタンの関係について、簡単に説明します。

1947年にイギリス領インド帝国が解体し、インド連邦とパキスタンの二国に分かれてそれぞれ独立。その後両国の間には3度の戦争が行われています。

インドの宗教は、ヒンドゥー教が70%以上を締めており、それ以外はバラモン教や仏教など伝統的な宗教がいくつかあります。

対してパキスタンの宗教は90%以上がイスラム教徒です。

隣国同士でありながら、歴史的経緯、政治、宗教などなかなか難しい問題を含んでいると推定されます。

 

映画の主人公バジュランギはヒンドゥー教徒です。

 

「迷子の女の子をパキスタンの親元に届ける」という簡単そうなことも、両国の関係上すんなりといかない心理的、及び国家体制的な壁が存在するのかもしれません。

 

バジュランギは、少女シャヒーダーを連れて徒歩で、国境を超えようとします。当然両国の国境には壁が存在し、国境警備隊もいます。

 

バジュランギは、たまたま出会った国境を不法に入国させてくれる業者?の手引きもあってすんなりと国境超えを果たすのですが、そこへパキスタン側の国境警備隊が近づいてきます。

 

業者が逃げるのを促すのも断り、バジュランギはなぜか、身を隠さずに堂々とします。バジュランギと少女は国境警備隊に誰何されるのでした。

 

映画の中でバジュランギは、「正直者のヒンドゥー教徒」で通っているのですが、個人的にはこの国境超えの場面が最も説得力を感じました。

 

バジュランギは、機関銃らしき銃器を携行している、怖そうなパキスタン国境警備隊数人に取り囲まれてしまい、インドに戻るように言われます。

 

バジュランギは事情を話しますが、警備隊の隊長は聞き入れません。

 

この国境超えの場面は、映画としてのリアリティがあるかは置いといて、現実場面としてのリアリティはあるような気がします。

当ブログではネタバレはしないことを原則としている為に、詳しくは観てほしいのですが、国境の壁、心の壁を越える為に必要なものを示してくれたような気がします。

 

そして、パキスタンに入国してからはバジュランギはインドから潜入したスパイの嫌疑を受けて、警察から追われるようになりますが、ひょんなことからテレビ局の記者が協力者になり、2人で少女を親元に返すべく3人一緒に旅をすることになります。

 

映画的にはこの記者の存在が、ストーリーを円滑に進めるキーキャラクターになりますが、クライマックスに向けて、様々な伏線を張っていくのが映画製作としての上手さを感じました。

 

また、映画の序盤は迷子の少女シャヒーダーを演じる子役に硬さが見られましたが、話しが進むにつれて、どんどん自然体になっていき、愛くるしくなっていきます。

 

観る側としては、少女の喜ぶ笑顔を見たい為に何としても親元に返してあげようという気になっていきます。(ちなみに少女は言葉が喋れない為に、自分が住んでいた村も大人達に教えてあげられないという設定になっています)

 

この映画の設定は、インド国籍で正直者のヒンズー教徒、パキスタン国籍で迷子の喋れない女の子、そして、インドとパキスタンの歴史的な確執、その状況下で女の子をパキスタンの親元まで届けるというストーリー。これらの設定をシャッフルすれば大体の展開は読めてしまう面もあります。ある意味ベタな展開なのですが…

 

そのベタな展開に説得力を持たせているのは映画の中で強調された「言葉としての愛」ではなく、「迷子の女の子を親元に届けよう」という単純ではあるが善なる目的の元に、パキスタンでの協力者である記者と、バジュランギと女の子の3人が、一つの目的に向かっていく過程で、自然にどんどん仲良くなっていく姿こそが、観る者を納得させていっているような気がします。

 

クライマックス、少女は親元に帰れるのか、バジュランギはパキスタン警察に捕まらずに、インドに帰れるのか?

 

この映画のテーマは「人間同士の違いに目を向けすぎずに、共通する部分こそ大切にしようとする精神が、お互いの憎しみを溶かすのではないか」ということなのかなと思いました。

 

2時間40分あまりと少し長いですが、パキスタンの綺麗な風景にも癒されること請け合いです。

 

 

 

 

にほんブログ村 その他趣味ブログへ
にほんブログ村
カテゴリ