崖っぷち日本のユートピア社会学by大山昇悟

崖っぷちに立っている日本をどうしたらユートピア(理想郷)にできるか日々考え答えを探していくブログです

藤井聡太5冠達成!されど注目すべきは羽生善治九段の巻き返し

2月12日に行われた王将戦第4局において、藤井聡太四冠(竜王、王位、叡王棋聖)が勝利したことにより五冠を達成しました。

谷川浩司永世名人が自著藤井聡太論」棋士の全盛期について述べていますが、「25歳から30歳、それ以降はその人次第」とのことです。それを踏まえるとおそらく藤井聡太5冠(19歳)は、八冠を完全に射程に入れていると思います。そして現在の藤井聡太氏の実力から言えば八冠制覇は充分に可能でしょう。

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ここで思い返されるのがかつて25歳で七冠(当時は7タイトルしかなかった)を達成した羽生善治九段です。

藤井聡太氏が五冠を達成した一週間ほど前に、かつての天才羽生善治九段はA級から陥落しました。

ちなみにA級とは、全棋士170名の中でトップ10に当たりその10人の中で最も成績の良かった者が、名人戦への挑戦権を得ることができるという仕組みで、簡単に言えば名人戦の予選みたいなものです。つまりB級に降格せず、A級に留まってさえいれば毎年名人に挑戦できる可能性があるという仕組みです。

羽生善治九段が七冠を達成した時の世間のフィーバーぶりを覚えている人からすれば、今回のB級陥落は隔世の感があります。

それにしてもなぜ羽生九段の最近の成績はパッとしないのでしょうか。巷で言われているようにAIを使用した最近の将棋の研究についていけてないという意見も見られるようですが、それも含めた年齢的なものも影響しているのかもしれません。

八冠に向かって突き進む現在の天才、藤井聡太五冠と、衰えを見せ始めたかつての天才、羽生善治九段。二人の天才の現在の立ち位置はまったく対称的です。

個人的には、羽生善治九段が今後どう将棋と取り組むのかに注目したいと思っています。なぜなら若き天才が頂点に上り詰める過程は、一般的にはあまり参考にならないからです。

例えば、一年位前の藤井聡太氏の対局で打った手がAIで分析し計算したところ6億手に出てくる手だったとのことです。

実際現実的に6億手なんて読めるはずもないので、何かしらの直感みたいなものでしょうが、凡人には理解不可能で、マネもできないでしょう。

また他の分野の天才の例で言えば漫画家の手塚治虫です。手塚治虫は複数の雑誌の連載の締め切りに追われていた時、A社の原稿の絵を描きながら、後にアシスタントを待機させ、手塚治虫が口頭でB社の原稿のコマ割りを伝え、キャラクターの配置とセリフを言って、アシスタントがその通りにページを作っていたことがあったようです。

こういうエピソードを知ってしまうと、もう普通の人間はマネしようもないので、参考にもならないと思います。

ところが漫画の神様と言われた手塚治虫でも、時代の流行に乗れずに、次第に新人漫画家の後塵を配するようになりました。

特に昭和40年代のスポ根漫画ブームの時期は、手塚治虫はかなり苦しんだようです。

そもそも手塚治虫の初期の絵は明らかにディズニーの影響を受けています。そこで時代の流れとともに新人漫画家がリアルな劇画でヒットを出し始めると、自身の絵柄は読者に受けないために、意図的に絵柄を劇画チックに変化させています。

おそらくですが手塚治虫は、漫画界の変化に合わせて、4〜5回は絵柄を変えているのではないでしょうか。簡単に述べましたがこれは実は大変難しいことなのです。例えば、主人公の男の子、女の子の絵柄を変えるだけらならまだいいのですが、脇を固めるキャラクターも同一のタッチで統一しないと絵がチグハグになってしまうからです。この辺は天才手塚治虫でも苦労したのではないかと推測できます。

ちなみに絵柄の変遷を時系列に見ていくと…

↓漫画界に衝撃を与えた「新宝島

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⬇️鉄腕アトム

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⬇️リボンの騎士

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⬇️きりひと讃歌

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⬇️ブラックジャック

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⬇️アドルフに告ぐ

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また、手塚治虫が漫画界の後ろの方に追いやられかけていた時、つまり連載の依頼があまり来なくなっていった時の手塚治虫の行動が凄いです。

なんと、手塚治虫は新人漫画家のように出版社に原稿を持ち込みに行ったそうです。普通、手塚治虫ほどの大家になればプライドもある為、原稿持ち込みなどできないと思われます。

手塚治虫が落ち目になった時のそういったエピソードが単なる才能だけではない凄みを感じさせます。

結果的に手塚治虫ブラックジャックをヒットさせ、55歳の時には最高傑作と呼び声の高いアドルフに告ぐを世に送り出すことができたのです。

また、天才とは言えないかもしれませんが、元メジャーリーガーの木田優夫投手が44歳独立リーグに在籍していた時に語った言葉が印象深いので紹介します。

↓下記の画像はヤクルトスワローズ在籍時代の木田優夫投手

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木田投手は20代の時は気合いで150キロの速球を投げることができましたが、40代になってからは『「技術」で早いボールを投げたいと思っている』、として「20代の頃にできたことができなくなっていることもあるんですけど、逆に(44歳の)今、20代の頃にできなかったことをできるようにして、レベルをどうにかして上げようと思ってます」と語っています。

そんな木田投手は今年2022年から日本ハムファイターズの二軍監督に就任予定です。

また将棋の世界では米長邦雄永世棋聖50歳で名人位を獲得したことが、当時としては画期的だったそうです。

↓下記の書籍は若き日の羽生善治九段と50代の米長邦雄永世棋聖の対談本

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米長邦雄氏が名人位を獲得することができた一因としては、その数年前から若手を集めて「米長道場」なる研究会を開き、若手に教えを請う姿勢を取って、自分より20歳も年下の棋士に対しても「先生」と呼んでいたそうです。

紹介した3人のエピソードは、年齢による衰えや、時代の波に取り残されそうになっていった時に、様々に工夫してなんとかそれに抵抗しようとする人間臭い姿勢が見られると思います。そういった姿勢は一般の人でも参考になるのではないでしょうか。

そう意味で現在51歳の羽生善治九段が、B級降格後どのような姿勢で将棋に取り組むのかが注目されるのです。

天才羽生善治の今後の生き様におおいに期待しつつ、応援のエールを送りたいと思います。

 

 

 

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